2019年12月号会報 巻頭言「風」より

2019年を振り返る

加藤 三郎


世界の平和と国民の幸せをいかなる時も願われた平成天皇から令和天皇への代替わりは平穏に執り行われ、またスポーツなどでの若者たちの大活躍も多くの人を励ましてくれた。しかし、今年を振り返ると、社会の厳しい様相は隠し様もなく、私にとって印象深かった次の3点に絞って今年を振り返ってみた。(なお、11月末のローマ教皇の日本での発言も重要であるので、後に改めて論評する。)

1.危うし!気候も生物も

異常気象といえば、今年の9月~10月にかけて東日本を襲った3つの台風の記憶が未だに鮮明だ。まず9月には台風15号が、千葉県を中心に暴風雨で甚大な被害をもたらした。10月には台風19号が、長野県、茨城県、福島県などに大雨を降らせ、多数の死者を出したほか、広範な地域が浸水し経済的な被害も甚大であった。台風21号によって刺激された前線も東日本に大雨を降らせ、大きな痛手を受けた。台風の被害が甚大だったので、それ以外の異常気象のことを忘れがちだが、今年の5月26日には、北海道の佐呂間町で39.5℃という信じられない高温が観測され、翌日にも北海道帯広市など23地点で35℃超の猛暑日となり、多くの地点では30℃超の真夏日となって、まだ5月なのに熱中症による死者まで発生した。8月15日には新潟県長岡市で40.6℃、山形県鶴岡市で40.4℃を観測している。

このような異常な気象現象は日本列島だけに限らず、世界中で発生している。今年の1月、シカゴ市では-26.5℃、ミネソタ州で-48℃と、南極よりも低い気温が北米の都市で観測された。同じころ、南半球のオーストラリアのアデレードでは46.6℃の熱波。6月~7月には熱波がヨーロッパを襲い続け、フランス、ドイツ、オランダなどで40℃を超え、7月25日にはパリで42.6℃、ドイツのボンでも40.6℃。このような例を挙げたらきりがないが、もう一つだけ。11月の半ばには水の都ベネチアで温暖化に誘発された高潮・洪水被害で水位が通常より最大で187センチ上昇し、市内の85%以上が浸水したという。サンマルコ広場で大人が腰まで水に浸かって歩いている姿が世界中に発信された。

一方、生物界についても真に憂慮すべき状況が、IPBESという国際的な生態系学者・専門家の集団から今年5月に発表されている。それによると、世界中の専門家が調査した動植物のうち、約25%の100万種が絶滅の危機にあり、その多くが数十年以内に絶滅する可能性があるとのこと。原因としては、人間活動により世界の陸地面積の75%以上が著しく改変され、海洋の66%が温暖化などの影響を受け、湿地の85%が消失したことだという。現代人が犯した罪の大きさをひしひしと感じる。これに関連して11月半ばに、日本の身近な里地や里山に沢山いると考えられてきた蝶の仲間87種のうちオオムラサキを含む約4割が絶滅危惧種に相当するレベルまで急減している由。オオムラサキは美しく品格がある蝶で、日本の国蝶とされるにふさわしい姿をしているが、それすら絶滅に追いやろうとしているのだ。

2.グレタ効果

今年の1月、藤村コノヱさんを通じて、スウェーデンの少女グレタ・トゥンベリさんのことを知って以来、彼女の言動にずっと注目してきた。歯に衣着せぬ厳しい大人社会への批判については本誌でも度々紹介されているが、9月23日の国連気候サミットにおいて彼女は、「人々は苦しみ、死にかけています。生態系全体も崩壊しつつあります。大量絶滅が始まろうとしているのに、そんな時でもあなた方はお金のことや経済成長が永遠に続くかのようなおとぎ話しかしていません。」と、居並ぶ政府首脳らに鋭く迫っている。

彼女についてもう一つ私が注目しているのは、ヨーロッパからニューヨークに渡ったときも、アメリカから国連の気候変動対策会議が開催されるスペインに向けても、飛行機は使わず、動力は風力で、船内で使う電力はソーラーパネルや水中タービン発電で賄うヨットを使い、炭素排出ゼロを実現したことだ。彼女が飛行機でなく風を利用したヨットを使ったことで、今、ヨーロッパでは飛行機で移動することを恥ずかしく思う人が増え、列車の利用が増えているという。つまり彼女は言葉だけでなく、荒海をヨットで渡るという行動を通して、炭素排出ゼロ移動の可能性を示した点でも注目に値すると思う。

3.動かない日本

科学界からの度重なる警告だけでなく、現実に頻発している深刻な気象災害を前にしても、なお日本の政治が本気になって対応しようとしていない理由は一体何なのだろうか。私にまず思い浮かぶのは、経済に対する過度とも思える思い入れだ。安倍首相は政権に復帰すると、この道しかないとして「アベノミクス」を推進し、7年経っても「これからも安倍内閣は経済最優先」と語っている。もちろん、経済は間違いなく重要だが、恵まれた層の足元を一時的に温める経済であってはならず、自然環境の激変を避けられない環境で生きる子や孫の時代にも通用するものでなければならない。

一方、国民の側でも、この問題に真正面から取り組む政治家への支持が高まっていない。貧困、雇用の不安などのためにまるで余裕がなく、異常気象問題までは気が回らないのかもしれない。というより経済的豊かさや利便性、快適性を確保しようとするあまり、化石燃料の消費を続けざるを得ないこと、つまり温暖化対策よりも当面の経済維持に大きく傾いているためのように私には思える。しかしこれでは、破局は避けられないことを私は恐れている。