2020年1月号会報 巻頭言「風」より

市民力を高めるための環境教育のやり直し

藤村 コノヱ


昨年も国内外で気象災害が頻発し、多くの方々の生命・財産さらに仕事までもが奪われる事態となってきました。そうした状況にも関わらず、なかなか動かない大人(特に政治家)の曖昧な態度に怒りを覚えた若者が、グレタさんの活動を契機に立ち上がったのはかすかな希望でしたが、COP25ではそんな若者の思いとは裏腹に、世界のリーダーのうち、特に日本を含む主要排出国の首脳たちが明確な方策を示せなかったことは残念です。

当会でも、気候変動との長い闘いには大人だけでは不充分で、次世代との連携が不可欠との思いから、昨年は環境文明塾(主に企業の若者)、全国交流大会(大学生)、エコ動画甲子園(高校生)、デモへの協力・参加など若者との連携や議論の場を増やしてきました。

しかし、そうした中で強く感じたのは、日本の教育、特に環境教育が十分ではなかったという反省です。確かに環境について学ぶ機会は以前より随分増えています。しかし、こうした場に参加する若者でさえ、気候変動に関する知識・関心はある程度持っていても、その原因が社会の様々な要因と複雑に絡み合っていることや、それらも踏まえた本質的な考察が不充分なため、解決策も紙・ごみ・電気を減らすといった表面的な活動に終始しているケースが多く見受けられました。全国交流大会でも、「環境教育が不充分だった」という意見が若者から多く出されましたが(本誌10頁参照)、これは彼らの責任というより、教える側、大人の責任だと、改めて感じています。

では何が足りなかったのでしょうか。

今から20年近く前、環境問題解決の基礎は環境教育と考えていた私は、全ての学校や企業・市民社会で環境教育が実施される制度の必要性を感じ、会員や外部の方々とも連携して立法化に向けた活動を開始しました。当時から私たちは、環境教育は“持続可能な社会のための教育”と定義。内容も「環境」「経済」「人間・社会」を柱に、対象も学校だけでなく市民や事業者も視野に入れ、持続可能な社会構築に向け行動する人材育成のための法制度を働きかけました。しかし成立した法律は私たちの思いとは異なり、従来の狭い範囲での環境教育しか意識されていなかったため、私たちは、改正に向けて「環境教育を“持続可能な社会のための教育”と新たに定義すること」、「環境保全活動を促進させる仕組みの導入」などを要望。その結果ある程度満足できる改正が成されました。 しかし、そうした制度の下で教育を受けたはずの若者から不充分と指摘される理由を考えると、指導者の指導力不足などもあるでしょうが、根本的には社会に働きかける力を育む教育、民主主義教育、市民教育といったものが足りなかったのではないか、そしてそれは、政府も国民もそれを望んでいなかったためではないかという気がします。

私自身は、当初から環境教育は民主主義教育という観点で、ディベートやロールプレイなどの手法を用い複雑に絡み合う利害関係を理解し、その上で解決策を考え提案するといった研修・講座を実践してきました。また立法化活動を通じて、自ら調べ、皆と議論し提案を作り、それを社会に示すことが最高の環境教育の場だという実感もあります。だから「学んだことを社会に活かす」環境教育が大切だと確信しています。

しかし、古くからの「お上意識」のようなものがいまだに影響してか、日本の学校教育では市民教育や政治教育を避ける傾向にあります。政治家や官僚の中にも依然として、“民には由らしむべし、知らしむべからず”という体質(官僚の極意とも言われるとか?)があるようですし、環境教育を実践する人の中にも、環境教育を狭い教育の範囲に留め政策提言やデモなどの社会活動につなげる必要はないという人たちもいます。また昨年12月20日付朝日新聞の論点では、日本で社会運動が盛り上がらない要因が論じられていましたが、その中で、高千穂大学の五野井教授は、“1980年代社会運動を潰す圧力と社会運動の担い手の不作為、さらに文化的変容が社会運動に否定的な風潮を作り、それらの影響を受けた少なからぬ人たちは今も政治や社会運動に冷笑的”と述べています。そうした大人の影響を受けて若者自身が社会活動への参加をためらう傾向が強いのかもしれません。

しかし、同氏も言うように、“選挙による間接民主主義とデモなどの直接民主主義は車の両輪”であり、“西欧では社会運動が民主主義を支える重要な要素との理解が浸透し、社会運動への参加はまともでカッコいい”とされています。こうした風潮が社会的影響力を持つNPO/NGOを生み育て、グレタさんのような若者を生む土壌となり、EUの環境政策を後押ししているのだと思います。

以前、(市民活動に理解ある)衆議院法制局の方に市民の政策提言活動について尋ねた折、環境や消費など市民生活に深く関わるテーマには不可欠な活動と励まされましたが、気候変動は人類存続に関わる課題であり、価値観や暮らし、社会・経済の仕組みなど私たちの文明に大きく関わる問題です。まして、その深刻化により人々の生命・財産が奪われる危機的状況にもかかわらず政治が動かないのなら、人々が声を上げるのは当然のことです。

気候変動に加え、不安や不満で世界中が混迷を極め、人間も「退化」「幼児化」の傾向に向かいがちです。しかしそんな状況を乗り越えるには、有限な地球の中でこれまでのやり方ではダメなこと、新しい文明の転換期にあることをしっかり認識する必要があります。そして生命の基盤であり人類共有の宝である環境を守るには、人任せにするのではなく、またAIなどと言う技術に頼るのでもなく、一人一人が自分事として、考え、よりよい社会へと変えていく力を育むことが大切です。そのためにも、視野を広げ、様々な人と意見を交わし、社会の一員として自ら声を上げ参加する、そんな力を育む市民力アップの為の環境教育をやり直す必要があります。そして当会も若者とも連携し社会への発信を続けていきますので、今年も、ご支援頂きたいと願っています。