2020年3月号会報 巻頭言「風」より

「未来を作る方法」を探る

藤村 コノヱ


年1月、世界を代表する政治家や実業家がスイス東部のダボスに一同に会し、地球規模の課題について話し合うダボス会議。今年の会議は、まさに環境一色だったと報じられた。一方この会議に合わせて場外では、あのグレタさんと共に若者たちが気候変動への取組の強化を訴えたデモを行った。グレタさんのメッセージが強烈な故に、こうしたデモが世代間の分断を煽るという見方もある。(残念ながら単に「大人」を敵対視するだけの若者もいる。)しかし、多くの良識ある市民は、少なくとも彼女の言動は、「今だけ、金だけ、自分だけ」という現在の資本主義や民主主義、そして人間そのものの在り方に対するアンチテーゼだと受け止めているように思う。実際、私自身も、気候変動という人類にとっての最大の危機をきっかけに、このままでは人間も社会も持続的ではない、経済・政治・技術を含む社会のあり様や私たちの価値観、いわば「文明」そのものを変えようと当会が26余年言い続けてきたことを、彼女が代弁してくれているようにも思える。

しかし、アンチテーゼだけでは世の中は変わらないのも事実であり、それに替わる何かを考え示す必要がある。そしてそれを考え示すのは、主に大人の責任であり、特に国のリーダーの責任は重いはずだ。グレタさんに対して、プーチン大統領や米国財務長官が、“社会はそんなに単純ではない” “もっと経済を勉強しろ”と言う趣旨の発言をしたそうだが、それは彼らが自らの責務を放棄した発言とも言えよう。またダボス会議では日本の某飲料メーカー社長がプラ容器のリサイクル技術を自慢したが批判されたとのこと。これも哲学のない小手先の技術だけでは根本的解決策にはならないことを、世界から突き付けられたと受け止めるべきだと思う。 一方私たちもNPOとして、様々な提案を続けているが、新しい文明への移行はなかなか進まない。どう変えていけばいいのか?

そんな折、『未来への大分岐-資本主義の終わりか、人類の終焉か?』(集英社新書)という本を読んだ。斎藤幸平大阪市立大学大学院准教授が、マルクス・ガブリエル(哲学者)、マイケル・ハート(政治哲学者)、ポール・メイソン(経済ジャーナリスト)という“危機に真っ向から立ち向かい、この先を見つめる知識人”三名との対話を通じて、“未来を作る方法”を探ろうとした著書である。

四名の主張が必ずしも一致しているわけではなく、多方面にわたる議論で全容を説明するのはとても困難なため、実際に読んで頂きたいが、ここでは全編を通じて私自身が共感した内容のごく一部を紹介したい。

例えばハート氏は、「コモンとは民主的に共有されて管理される社会的な富であり、利潤の最大化を第一の目的とする資本主義では、持続可能な地球の管理は不可能。電力や水、知識や情報、自然や地球を、コモンとして資本の支配から取り戻し、自分たちのものとして管理していくことが大切」という趣旨のことを語っている。そして「上からの社会変革ではなく、社会にこそ変革に向けた要求があり、苦しみや欲求を分かち合う連帯から新しい未来を作る想像力が生まれる」とも述べている。まさに短期的経済性ばかり重視する企業やそちら側の論理で経済最優先ばかりを掲げる今の政治では、気候変動などの人類の危機は乗り越えられず、解決に向けた私たち市民の連帯への期待が込められているように感じる。

また哲学界の若手旗手と言われるガブリエル氏の話も興味深い。彼は、フェイク(嘘)が横行する現代社会を憂い、「世論の形成において客観的事実よりも感情や個人的な思い込みへの訴えかけの方が影響力を発揮している状況をポスト真実といい、今これが哲学に大きな挑戦状を突き付けている」旨述べている。また、トランプ現象から、「正義、平等、自由など普遍的な価値など存在せず、存在するのは土地ごと、文化ごとのローカルな決定だけとする考え方(相対主義)は、究極的に他者を人間ではない存在として考えるようになり、AIはその非人間化を助長している」旨を述べ、これへの処方箋として「新実在論」を唱えている。難しい議論で説明は困難だが、自明の事実とそれについての私たちの知識や熟議が大切だということではないかと私なりに理解している。そしてこれへの取組の第一歩として、教育改革が必要であり、特に哲学的思考をすることを子どもたちに教えることが大切と述べている点も大いに共感した点である。

さらに『人工物に文明のあり方をゆだねる文明、つまり哲学的・倫理学的な省察を隅に追いやる文明は、遅かれ早かれ、精神なきサイバー独裁に乗っ取られてしまう』という言葉は、AIにのめりこむ現代人への痛烈な批判で、全く同感である。

この本では技術についても語り合われている。例えば、斎藤氏は気候変動への対応として、「一部専門家により開発された気候工学のような技術と政治家が作成した法案によって解決してもらえれば、自分たちの生活を変更しなくても済むから楽に見える。しかし、そこで利益を得るのは先進国の一部の富裕層であり、新しい技術開発は資本家にはビジネスチャンスだ」と述べている。現在の日本の気候変動対策は、国の長期戦略では不連続のイノベーションとして技術に過大な期待を寄せ、最近も脱炭素社会に向けた研究機関としてゼロエミッション国際共同研究センターの設立を決めた。勿論技術も大切だ。しかし、気候変動に最も加担した権力・資本・技術という三者の結びつきという点では、このセンター設立も従来の構造・やり方と変わりなく、1990年レベルからCO2排出量はほとんど減っていない日本の現状を考えれば、そこから新しい文明に繋がるような画期的な技術が生まれてくるとは、私には思えない。

また斎藤氏は最後に、『自由、平等、連帯、そして民主主義という価値に重きを置くことは全員に共通。大分岐の時代だからこそ、自由で平等な社会を多くの人と共につくり上げることを大きなスケールで徹底して思考しなければならない。そうでなければ、資本主義の矛盾が人々にもたらす困難・疎外、それに伴う民主主義の危機を突破することはできない。』と総括している。


前述したように、読み応えのある本ですべてを理解できたわけではない。それでも、冒頭で述べたように、気候変動をはじめこのままでは人間も社会も持続的ではない、それ故に文明の転換が必要と考えてきた当会の方向性や考え方は間違っていないことを確認できたような気がしている。

そこで、当会としての具体的な活動について改めて考えてみたが、2020年1月号で提案した、市民力を高める環境教育のやり直しとして、また新しい文明づくりの第一歩として、現在の活動に加えて次の活動を提案したい。

その1. 炭素税導入についての議論を皆で盛り上げる

炭素税に限らず好んで納税する人は少ない。その理由の一つには、本来税は公共財や公共サービスの経費として全ての国民の幸福や社会の持続性の為に使われるはずだが、現状では、そうした実感が持てないからではないかと思う。しかし2018年9月号でも述べたが、炭素税が国民の幸福や社会の持続性のために使われ、CO2削減に頑張った人や企業が報われる公平・公正な税であれば、賛同は得られるように思う。また、税について考えることは、気候変動だけでなく、自分たちの社会のあり様や経済の仕組みを考える良い機会にもなる。各地にいる会員の皆さんとも連携して、地域や学校で、気候変動について学びながら炭素税の使途等について議論し提案してみたい。

その2. SDGs(持続可能な開発目標)を気候変動対策から取り組むことを勧める

2015年パリ協定採択の同じ年の9月に、国連では、国際社会共通の目標として「誰一人取り残さない」をスローガンにSDGsを採択した。それ以降、日本でも企業を中心に取組が進められているが、17項目の土台となる地球環境、特に「気候変動」への取組は日本では不足しているように感じる。

下図に示すように、気候変動は他の目標のほぼ全てに関連している。例えば、気候変動は、1.貧困や2.飢餓、10.不平等に拍車をかけている。また昨今の気象災害は、8.働きがい・経済成長や9.産業と技術革新にも大きく影響しており、災害により事業閉鎖に追いやられた中小企業や農家も沢山ある。様々な課題に取り組むこともいいが、喫緊の課題である気候変動に本質的に取り組めば、他の目標達成にもつながることへの理解を深めつつ、気候変動問題に積極的に取り組む企業を増やしていきたい。

気候変動(脱炭素社会)に取り組むことでSDGsも達成できる