2020年4月号会報 巻頭言「風」より

気候変動問題とコロナ問題、根は同じ

藤村 コノヱ


コロナ感染拡大で世界中が緊急事態に陥っています。未知のウイルスでワクチンも治療薬もない状況で不安が募るのは仕方ないことですが、連日報道される不要な買い占めや人間性を疑いたくなるような出来事を見ると、本当に悲しくなりますし、世界に比べて日本人の危機感の低さも心配です(3月末時点)。一方こうした事態の中で、“私たちの最も貴重な資産である社会と人間性を守るために、文明的で合理的な思考をしましょう”と、イタリアのある高校の校長先生が生徒に向けて送ったメッセージが話題になっています。本当に素晴らしいメッセージで、こうありたいものです。

この問題が発生した時、そしてその後の世の中の動きを見ていると、気候変動問題同様、これも行き過ぎた現代文明への警鐘であり、(気象災害とウイルスと形は違いますが)自然が私たち人間に、人としての生き方や社会・経済の有り様を見直せと言っているように感じます。特に日本人にとってはあの悲劇の3.11から9年経ったのに、その間に何をしていたのか、と問われているような気さえします。

そして、多くの方がお気づきでしょうが、コロナと気候変動という2つの問題には類似する点がいくつかあるように思います。その一つは、過度な人間の欲望がもたらしたグローバル化と土地開発に根源的な原因があるという点です。

グローバル化は、1990年代、 東西冷戦の終焉による民主化とIT革命により時差というものがほとんど意味を持たなくなり、全世界が瞬時につながる時代に突入したことに始まったと言われます。実際国際航空輸送協会(IATA)によると、2017年に航空機を利用して旅行した人の数は世界全体で40億人を突破、30年間に約4倍も増加するなど、人の移動も世界貿易額も増加の速度を速めています。(図1)

気候変動に関しては、それ以前の1970年代には海洋汚染や酸性雨など地球規模の環境問題への懸念が国連人間環境会議やその年発行された『成長の限界』で示されていましたが、気候変動問題への本格的な取組が開始されたのは1992年の地球サミット前後で、IPCCの設立も1988年で、その後全面的に活動を開始しています。そしてCO2濃度も図2の様に上昇し続けています。

一方、人類の歴史は感染病との闘いと言われ、有史以前から人の疾患の大部分を感染症が占めてきましたが、コロンブスの新大陸「発見」(1492年)以降、人やモノの行き来が盛んになり、これと併せて感染病が世界各地に広がっていったそうです。しかし1970年以前までには公衆衛生の向上、ワクチン開発や予防接種の強化などにより先進国の感染症致死率が低下したことから感染症への関心は一時期低下。それが1970年代後半になると、人とモノの移動が以前と比べて格段に大量かつ短時間で行われるようになったことや、熱帯林など未開の地にまで開発を広げたことなどにより新たな感染症が出現してきたそうです。

このように、グローバル化による大量の人やモノの移動に伴い、大量のエネルギーが消費されCO2排出量が増加しただけでなく、感染症拡大の可能性も増加。また熱帯林などの未開の森林・土地開発によりCO2の吸収源が減少した一方で、そこに生息する未知のウイルスの人間社会への進出が始まったわけです。今後温暖化が進むことで永久凍土に閉じ込められていたメタンだけでなく、ウイルスが放出されることも予測されています。

今なお世界人口の増加が続く中で(図3)、もっともっとの人間の欲望が、結局は、気候変動による気象災害の頻発や今回のコロナ感染拡大のような事態を生み出しており、これは有限な地球環境の中で、私たち人間の行動が成長の限界を超えたが故の苦難なのだと、私には思えるのです。

二点目として、対策が遅れれば遅れるほど、被害は拡大の一途をたどり止められなくなるという点、そしてその被害は貧しい人や国に、より大きくのしかかるという点です。気候変動の被害は日本も含め世界各国で起きていますが、経済的に貧しい島嶼国での被害は人々の暮らしそのものを脅かしています。一方コロナへの予防策として“手洗い”が有効ですが、世界人口の40%にあたる30億人の人たちは手洗いする清潔な水などないのが現実です。気候変動もコロナも南北問題である点は共通です。

三点目は、こうした状況にあっても、生命よりも経済を優先するのが今の政治・社会だという点です。これまでも気候変動問題に関しては、短期的経済優先の政策や過度な成長志向の愚かさをたびたび指摘してきましたが、今回のコロナの国内対策を見ても、予防、検査、病院・看護体制の整備といった感染拡大の防止策よりも、目先の経済政策を重視しているように感じます。勿論感染拡大に伴う失業、倒産などの被害が広がり厳しい状況にある方々への支援は重要ですし、緊急対策が必要なことは否めません。しかし、今の日本の政治の議論は、株価の下落を抑えるための消費拡大、そのために一律に現金支給する、消費税を引き下げるなど、どう見ても泥縄的な対策ばかりです。経済対策も重要ですが、まずは感染を押さえること、併せて、これまでと現在の教訓を生かし、今後皆が安心・安全に心豊かに暮らせる社会にするには経済・社会をどう変えていくのか、こうしたリスクを回避するための予防策は、といったような議論も“のど元過ぎれば熱さを忘れる”前にこそ必要だと思います。

四点目として、危機感という点では差異がありますが、人間は自分や家族のことは考えられるけれど、社会全体のことは二の次になってしまうという点です。これが一概に悪いとは思いませんが、皆が社会の一員であることを忘れてしまえば人類の存続はあり得ません。前記した校長先生のメッセージにも「この手の危機に打ち勝つ際の最大のリスクは、社会生活や人間関係の荒廃、市民生活における蛮行」とあります。


残念ながら、気候変動もコロナの様な感染症も、グローバル化が進む世界では止めることは難しい時代になっており、長い闘いになることを覚悟する必要があります。マクロン仏大統領は「ウイルスとの戦争状態」と表現しましたが、戦争の相手は直接的にはウイルスかもしれませんが、真の相手はこうした社会を築き、それを良しとしてきた私たち人間の欲望とそれを助長してきた社会・経済システムにあるのではないかと思うのです。

毎年のように襲ってくる猛暑や大型台風・大雨、そして突如襲いかかる新型の感染症。このまま欲望を押さえることなく利便性や経済的成長だけを求め続けるのか?それとも地球の有限性と成長の限界を認識し安心・安全で心豊かに暮らせる社会へと舵を切るのか?福島事故の後にも問われ、それ以前にも幾度となく舵を切るチャンスはあったはずなのに、相変わらずの道を進んできた私たち人間。今度こそ、「拡大・成長」「経済」より、気象災害や感染症などのいかなるリスクにも対応できる「持続性」と「人間・生命」を重視する価値観を私たち一人ひとりが持ち、それを基盤とした社会・経済活動へと世界が連携して変えていくことができればと、この事態の早い収束と併せて願うばかりです。

世界の貿易額の推移

図1 世界の貿易額(財・サービスの総輸入額)の推移 出典:国連データベース

世界の貿易額の推移

図2 大気中の二酸化炭素濃度の経年変化 出典:気候変動監視レポート2014

世界の貿易額の推移

図3 世界人口の推移(統計値) 出典:国連人口基金東京事務所ホームページ