2021年2月号会報 巻頭言「風」より

過去に学んだことを活かそう

藤村 コノヱ


この3月11日で東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故から10年が経過します。あの時の恐怖や危機感は直接被災したわけではない私でもいまだに忘れられません。

当時、想定外という言葉が盛んに使われました。しかし、大地震は歴史的に繰り返されていたし、少なくとも福島原発事故に関しては、大津波はデータにより想定されており、それによって何が起きるかは東電内の専門家を含め良識ある関係者であれば想定できたはずです。にもかかわらず、東電の原発に対する過信と「原子力ムラ」と呼ばれた閉鎖的な組織は、想像力を殺いだのみならず、人命より経済優先の姿勢は科学的知見や歴史を軽視して取るべき対策を怠りました。そして国も国策民営だったことから東電のそうした姿勢を見過ごし、国民への適切な情報開示も行わず、結果的に福島のみならず後世にも大きなツケを残す大事故になりました。これはいわば人災とも言えますが、その後も、政治的責任が問われることはなく、東電トップの責任もあいまいなままで、いまだに被災された方の苦難は続き、納得のいく解決の方向性も見いだせていません。そんな中、脱炭素社会に向けた動きを口実に、またしても私たち市民の目を掻い潜るかのように原発継続の政策が進みつつあります。誰もコントロールできない原発技術、誰も責任を取らず、正しい方向性を示せない閉鎖的な原発政策への不信は募るばかりです。

一方、あの時私たち市民の多くが、原発の怖さを認識し、省エネや日常の普通の暮らしの有難さを学んだはずです。しかし10年経った今、どれほどの人が当時の思いを忘れずに、学んだことを活かしているかは疑問です。

そして福島事故から10年目、日本のみならず世界中がコロナ感染拡大に苦しんでいます。そして、これも人間が本来の生息域を超えた開発行為を続け、グローバル化を拡大させる中で、決して想定外の出来事ではなく、予測できた事だと思います。“ウイルスは人類の出現以前から存在し、パンデミックを引き起こしたのは人間側の要因による”と、山本太郎長崎大熱帯医学研究所教授が語っています。しかし、ここでも人命よりも経済を優先する従来の政策(例えば、保健所統合など規制緩和による公共サービスの低下等)が医療崩壊という現状を生み出し、科学的知見を軽視して、命と経済を天秤にかけるような現政権の姿勢が国民の生命のみならず経済にも大打撃を与えています。残念なことに、政府の責任だけでなく、私たち市民の中にも、命あっての経済であることや、一人ひとりの行動が社会と繋がっていることを忘れて利己的な行動をとる人、感染者や関係者に差別的な言動をとる人がいることも否めません(これは原発に関しても同様)。

そうした中、国内外で気象災害も頻発していますが、これも福島やコロナ同様、科学を軽視し人命よりも経済を優先する現在の政治や社会経済システム、そして貪欲な人間の行動が生み出した人災だと思います。ただ、福島やコロナがある意味で突発的で事後的な対策しか取れなかったのに比べ、気候危機への継続的な取組は、例えば秩序ある再エネの拡大が原発を止めることに繋がり、行き過ぎた開発行為や永久凍土の溶解を止める取組が今後の感染症出現を食い止めることにもつながるなど、副次的な効果も期待できます。時間はあまりありませんが、考え議論し、判断して行動する時間はまだ少しあるように思うのです。そのためにも、私たち皆が、少なくとも記憶に新しい福島やコロナの経験から学んだことを、気候危機を乗り越えるために生かしていく必要があります。

例えば、IPCCが長年蓄積してきた科学的知見に基づき、専門家や官僚・企業だけでなく、市民の知恵も取り入れた先見性ある政策立案と実施が必須です。そのためには産官学の閉鎖的組織の限界を知り、開かれた市民参加、特に現場を知り利害関係に左右されない様々な知恵を持つNPO/NGOの本質的な参画が不可欠です。また地方自治の重要性も昨今の災害や感染症の経験から明らかで、気候危機に対しても行政と住民が一体となった政策立案が有効です。地域での取組は「自分事」として考えやすく、想像力も働き、実践力も出てくるからです。

また計画作りの際には、経済や技術、暮らしや教育等についても考えてほしいものです。例えば、緊急事態宣言が出る毎に、倒産や失業、生活苦に陥る人が増え、格差を広げるような今の経済の仕組みは決して持続的ではありません。従来の成長を基盤とした経済システムのままで、新しい脱炭素社会の創造など不可能だと思います。また脱炭素社会に向けた国の長期戦略は技術重視ですが、技術が何でも解決してくれるわけではありません。特に政治と資本が結び付いた巨大技術、気候工学など効果も不透明な技術を安易に選択するのではなく、今ある確実な技術を中心に、コントロール可能な技術か?本当に社会や人々を幸せにする技術か?を考え選択することも大切です。そして何より私たち自身が、不確実性の増すこれからの暮らしの中で、本当に大切なもの・幸せとは何かを見つめ直し、助け合いや人を思いやる利他的な価値観を大切する、そして経済優先の考え方や際限ない人間の業欲が、現在の格差を広げ社会の混乱を招き、人々を苦しめる根源になっていることを自覚し、少しでも「変わる」「変える」ための努力が大切だと思うのです。勿論、これらを可能にする基盤は教育や学びだと思います。

菅総理の脱炭素化宣言以降、国も地方も計画作りが加速されていますが、官僚や一握りの専門家に任せるだけでなく、皆で学び考え議論して危機を乗り越え、新しい社会をつくる、これこそが民主主義です。是非皆さんも地元のそうした活動にも参加してみてください。