2021年3月号会報 巻頭言「風」より

「2050年カーボンニュートラル」を実現するには

加藤 三郎


1.「脱炭素ドミノ」が始まった

昨年10月、菅義偉首相は所信表明演説で、「2050年カーボンニュートラル」、すなわちCO2等温室効果ガスの排出を2050年までに実質ゼロにすると宣言した。これは安倍前政権のエネルギー・環境政策からの大幅な離脱であり、遅まきながら世界の潮流に合流する出発点となった。政府は12月にはグリーン成長戦略を策定し、洋上風力、水素、燃料アンモニア等の14の重点分野の技術開発を支援するとした。また同日、「国・地方脱炭素実現会議」が小泉進次郎環境大臣主導の下で開催され、長野県知事、横浜市長、壱岐市長、岩手県軽米町長らも参加して、地方レベルからの脱炭素社会づくりを促した。本年1月の施政方針演説でも、「もはや環境対策は経済の制約ではなく、社会経済を大きく変革し、投資を促し、生産性を向上させ、産業構造の大転換と力強い成長を生み出す、その鍵となるもの。」と、首相は再度強調している。

このように明確な政策転換があったことで、経済界も堰を切ったように脱炭素に向けて動き出した。まず経団連が昨年末に「カーボンニュートラル実現に向けて」を発表し、従来の気候変動政策に対する消極的な姿勢の転換を表明した。また国会でも、コロナ対策が緊急事態を迎えている中にあっても、予算委員会で立憲民主党の岡田克也氏や自由民主党の額賀福志郎氏が首相や関係閣僚の脱炭素への取組や覚悟を聞いている。

こうした一連の動きを力強く主導した小泉環境大臣は、「政権のど真ん中に脱炭素と環境政策を入れ込む」とかねてから主張していたが、まさに日本でも脱炭素対策が政治の中心部で動き出した感が深い。長いこと気候変動対策が政治の中枢で議論されなければならないと考えていた私にとって、ようやくその時期が来たとの感を深くしている。各界における一連の流れを、小泉大臣は「脱炭素ドミノ」と呼んでいるが、日本の社会が脱炭素に向けて確実に動き出したと言えよう。

特に驚いたのは、炭素税や排出量取引制度などで温暖化対策を進めることを強くけん制していた鉄鋼業界が、本年2月、「CO2排出2050年実質ゼロ」をついに正式に掲げたことである。この業界は、今世紀末にはゼロにする、と言っていたのが、50年前倒しに追い込まれたのには政治的、経済的動きがあったとみるべきであろう。菅内閣の実質ゼロ宣言の風圧だけでなく、おそらく、欧米で盛んに議論されている「国境調整税」の問題が今回の決定の背中を押したのかと思われる。

2.今後30年で最大12億トンの削減が必要

昨年11月号の本欄で、「実質ゼロ」にもっていくのは大変困難とグラフを用いて説明したが、同じことを数字を用いて簡単に説明する。日本政府が温暖化対策に乗り出したのは1990年だが、その年の日本の温室効果ガス排出量は12億7600万トン。その後、社会経済状況も変動し、特に12年の第二次安倍内閣発足以来、経済成長を最優先にしてきたこともあり、LED照明、省エネ、ハイブリッド車の出現などイノベーションも結構進んだが、排出削減は順調に進まず、直近の2019年度排出量は12億1300万トン。つまり過去30年間、国民も企業もそれなりに温暖化対策に努めてきたにも関わらず、削減された排出量はわずか6000万トン程度である。

2050年に実質ゼロにするには、森林等による吸収分を考慮に入れても、これから30年間で12億トン近く削減しなければならない。政府が常に期待しているのは、技術革新だが、これまでもそれなりのイノベーションがなされてきたことを考えれば、その効果はさほど期待できないのではなかろうか。

では何が必要か。一定の生活水準を維持しながら、ライフスタイルを大幅に改めて省エネを徹底し、再生可能エネルギーを大幅に拡大することだ。これまで太陽光や風力の活用には相当努力してきたが、例えば太陽の熱利用、日本列島を取り囲む海洋が持っているエネルギー利用など幅広く進めるべきだ。さらに森林から木質バイオマスを取り出し、同時に植林、育林を国民運動的に展開する。都市内緑化、建物の緑化(例えば屋上緑化、壁面緑化など)といったあらゆる施策を本気で進め、最大12億トン近くを削減するしかない。

3.少なくとも次の二つは必須

前述のように、今後はあらゆるセクターの人々の力を総動員するしかないが、その前提として次の二つは必須だと考えている。

第一に、これまで日本がわずかな削減に留まった理由を公正に分析し、その結果を今後の施策に反映することである。日本の他、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスでの削減変化を見ると、その必要性がある程度理解できよう。1990年の出発点での排出量をどの国も100とすると、資料がそろう直近の2018年はアメリカが103.7、ドイツ68.7、フランス81.1、イギリス58.4、そして日本は97.5である。同じ先進国でも、ヨーロッパ三か国は2割~4割近くの削減を達成したが、日本は数%に留まっている。アメリカはこの間、温暖化対策に積極的に反対したブッシュ政権8年、トランプ政権4年の計12年があるので、これまでは日本より成績は悪い。日本では、8年近くの安倍政権の不作為と共に、国民や企業の側でもこの問題に対する関心や危機感の薄さなどが、重大な停滞を招いたと私は考えているが、詳しい分析により今後の政策展開に反映させる必要がある。

二つ目は、これまでのようにごく限られた専門家による審議会や専門委員会方式での政策立案過程を抜本的に改め、女性、若者、NPOなどあらゆるセクターの積極的な参加を促し、彼らの知恵を政策策定プロセスの中に入れることだ。私の新著でも、この問題の重要性を詳しく記述したが、一言で言えば、「産官学」などと称するゆがんだ「片肺政治」を続ければ墜落は免れないということだ。