2021年6月号会報 巻頭言「風」より

「成長」の中身を変える、脱炭素化を!

藤村 コノヱ


4月22日にバイデン米国大統領主催で開催された気候変動サミットで、菅総理が2030年46%削減そして50%の高みに挑戦する旨明言して以降、脱炭素に向けた動きが加速されているようです。連休前に開催された中環審の地球環境部会も、環境省からそれを含めた最近の動向の説明があり、その後各委員から3分ほどの意見陳述とそれへの簡単な回答、といういつもの形で進められました。多くの委員からは、高い目標設定はいいがその根拠や具体案を示すべき、もっと国民の意見を聞くべきという意見が出た一方、再エネだけでは不十分であり原発や化石燃料の使用もやむなしという産業界からの意見も少数ながらありました。しかし、脱炭素という新たな社会づくりに向け、あらゆる手段で取り組むべきという意見が殆どで、制度や技術の変更と併せ、私を含む数名からは教育や市民を交えての熟議の必要性についての意見もありました。

私自身、こうした高い目標が設定されたことはいいことだと思いますが、達成に向けては相当の覚悟と取組が必要だと感じています。特に、省エネや再エネ導入には私たち市民の理解と行動が不可欠ですが、残念ながら現時点では、エネルギーにかかわる制度には様々な課題があり、脱炭素の必要性についての市民の理解も不十分です。

例えば、日本の再エネは諸外国に比べてコストが高く、それが導入の一つの壁になっていると言われます。しかしその背景には、私たち市民にはあまり知らされていない、原発や石炭火力を温存するための大手電力会社に有利な経済政策があります(詳細は、グリーン・ウォッチ2021年に掲載)。

また脱炭素の必要性については政府案では、脱炭素製品やサービスの脱炭素化が広がることでライフスタイルのイノベーションを進めるとあります。しかし、脱炭素社会というこれまでとは次元の異なる社会を築きその中で暮らすには、私たち一人ひとりがその必要性をしっかり認識し、具体的な姿をイメージしながら知恵を絞り実現に向けて行動することが不可欠です。5月号で「1.5℃のライフスタイル」について紹介しましたが、その詳細レポートを見ると、常日頃シンプルライフを実践する私でさえ結構厳しいなと感じるほどで、受け身の姿勢だけでは到底達成できそうにありません。そして覚悟と自発的に行動する市民を増やすには、真の環境教育や、気候市民会議のような政策形成過程からの市民参加など、自分事として考えられる仕組みも大切です。ちなみに、今回の審議会でも私を含む数名から気候市民会議の提案がありましたが、環境省は現時点ではあまり関心がないようです。

さらに、政府の発する「成長戦略としての脱炭素社会」「成長戦略に資するカーボンプライシング」といった表現には、以前から違和感を覚えています。

有限な地球環境の中で、「成長の限界」が言われて早50年。2050年には脱炭素社会を目指すということは、これまでのような量的成長、GDPで測るような経済成長ではなく、成長の質をいかに変えていくかが問われています。10年前の福島事故も今回のコロナ感染症もその契機となりえたはずですが、相変わらず「成長戦略としての」という枕詞がつく国の政策からは、そうした根本的な変革への国家としての強い意志は伝わってきません。

グレタさんというたった一人の少女から始まった気候危機を訴える運動が、今、世界中の若者に広がっています。彼らの叫ぶ「気候正義」とは、私たち先進国の人間が「成長」という名のもとで行ってきた行為が気候危機という大きな災いを引き起こし、そのツケを、途上国、貧しい人、自然、そして次世代に負わせていることに対する怒りです。そして経済成長という名のもとに、共通の財産であるはずの有限な地球の資源を食い潰し、格差と理不尽さを増長した、倫理なきグローバル経済やそれを是としてきた政治家や経済界のリーダー、そして私たち大人に対して、大きな変革を求める声です。

勿論現在の豊かさを享受している日本の若者にも、先進国の若者としての責務はあり、自らが正義をどう実現していくかの議論や提案もほしいと思います。しかしその前に、より大きな責任を負う私たち大人世代が、これまでの考え方や消費行動を改める、いい政治家を選ぶなど、量的成長のためではなく、よりよい社会を再編していくために知恵と力を出していくことが大切です。特に、政治や経済を動かしてきたリーダーと言われる人たちには、これまでの経済成長路線から転換する覚悟を示し、よりよい変革の先達を務めてほしいものです。間違って、「高い削減目標を達成するには原発が必要!」などと言う、気候正義や環境倫理に悖るような議論は止めてほしいものです。なぜなら、「親(大人)の背を見て子(次世代)は育つ」からです。


ドイツのメルケル首相は、45年までに排出実質ゼロを目指す新たな目標を発表しましたが(4月6日)、背景にはドイツ連邦憲法裁判所が気候保護法について「将来世代の基本的な権利が侵害されかねない」と判断し、31年以降の詳細な排出削減措置を同法に盛り込むよう議会に命じたことがあるようです(4月29日)。勿論、9月のドイツ総選挙をにらんだ政治的思惑もありそうです。それでも、福島事故後、脱原発の決定を後押しした倫理委員会の存在同様、今回も若者の主張の一部を認めた司法、業界などからの批判があっても司法に従う政府など、権力から独立し自らの使命と正義に基づく行動を取るドイツの公的機関を見ていると、日本の三権分立は?と思わずにはいられません。そしてこうしたシステムを築き上げてきたドイツ市民のように、私たち日本人も自分事としてもっと頑張らなければ、と思うのです。