2021年8月号会報 巻頭言「風」より

環境議論に倫理は欠かせない

藤村 コノヱ


昨年の脱炭素宣言、そして2030年46-50%削減目標が示されて以降、脱炭素に向けた議論が政府や専門家、企業の間で活発である。こうした議論をWebで手軽に聞けることは歓迎だが、技術やコストに関する議論が多く、向かうべき社会像やその基盤となる倫理や価値観に関する議論は殆どない。数値では表せない議論ゆえ、こうした場での議論は難しいと思うが、福島を忘れたかのような無責任な政治家、使命を忘れ忖度に走る官僚、組織的不正を隠蔽し続ける企業など、最近の出来事だけでも枚挙に暇がないほどの倫理観の低下を考えると、やはり日本の将来に係る重要課題を省エネも含む社会像や倫理等の議論もなく技術やコストだけの議論というのは心配だ。

一例として、昨年から続いているエネルギー基本計画の改正議論において、本年5月13日の基本政策分科会では、再エネ100%の場合のコストが53.4円/kWhとの高額試算が示された。これは経産省の依頼を受け地球環境産業技術研究機構(RITE)が示したものだが、その前提や根拠などは分科会では明確には示されていなかったようだ。この時経産省はこのコスト試算を利用して原発や火力発電を温存したままエネルギー政策を進めようとした。しかしNPOはじめ環境派の研究機関の科学的反論や社会からの反発もあり、その後経産省はこの試算を見直し、2030年の発電コストは太陽光が最も安い旨を示した。しかし、限られたメンバーによるこうした議論は、エネルギー問題に対する国民の不安と不信を煽っただけでなく、全ての国民に公平に奉仕すべき官僚の使命を忘れたかのような経産省の姿勢を(最近の若手経産官僚の不正も含め)改めて露呈した。

そしてこのミスリーディングな数値を示した研究機関の行為は、『常に正直かつ誠実に判断そして行動し、…、科学研究によって生み出される知の正確さや正当性を科学的に示す最善の努力を払うことが求められる』科学者(注)の倫理に反しているように思う。勿論、『人類の健康と福祉、社会の安全と安寧、そして地球環境の持続性に貢献する』科学者も私の周りにはたくさんおり、こうした議論自体はとても重要だと思う。しかしその前提には、人間そして科学者としての倫理観と科学的根拠が不可欠であり、公の場でそうしたことがあいまいな議論がまかり通ること自体、憂慮すべきことではないかと思う。

その後新たな試算も踏まえ7月21日経産省の原案が示されたが、再エネ割合はかなり高くなったものの、原発や火力温存の姿勢は変わらず、これでは2030年2050年の目標達成は不可能である。今後パブリックコメントに掛けられるが、形骸化したパブコメがどの程度政策に反映されるかかなり疑問である。(『』内は「科学の健全な発展のために」2015年日本学術振興会)


エコサイドという言葉がある。本年7月2日付毎日新聞によれば、ギリシャ語とラテン語を組み合わせた「私たちの家を殺す」という意味の造語で、大規模な環境や生態系の破壊行為を指す。これについて国際法の専門家グループが、戦争犯罪、大量虐殺(ジェノサイド)、人道に対する罪、侵略犯罪と並ぶ重大な国際犯罪として、大規模な環境破壊行為をエコサイドとして加えるよう国際刑事裁判所(ICC)に求めたそうだ(ICCは国際社会全体の関心事である重要犯罪に関与した個人を裁く常設の国際裁判所)。この概念自体は1970年代のベトナム戦争時に、米国の科学者が自らの開発成果を枯れ葉剤として軍事転用されたことに対し使用反対運動を続けたことに由来するという。そしてその後も続いた様々な環境汚染に加え、気候変動に伴う危機意識の高まりから、海面上昇に直面する島国バヌアツやモルディブ、更に草の根レベルでの認知度も高まっている。フランスでは気候市民会議の提案を受け、エコサイドを「国内の水や大気、土壌に継続的な影響が出る意図的な環境破壊行為」と定め、違反した個人や企業に禁固刑や罰金を科す内容の法案を可決したそうだ。勿論エコサイドを国際法上の新たな犯罪に加えるには様々な課題もあり、フランス国内では産業界の反発もあるようだが、日本ではまだ話題にもなっていない。

複雑化深刻化する環境問題の解決には様々な手法が必要であり、かつての公害も裁判で決着した経緯から、こうした環境破壊を犯罪として裁判で解決するのも一つの道筋だろう。特にグローバル化した世界では、政治や外交に加えて、こうした法的手段も有効であり、使わざるを得ない場面も出てくるだろう。

しかしその一方で、対立ではない解決策もあってほしいと願う。

例えば、前述のような誤った政策や情報を意図的に発する人たちをエコサイドとして罰することができるかどうかはわからない。しかし、気候変動はじめ大規模な環境破壊は人類社会の存亡に関わる重要課題であることを考えれば、社会・国民そして将来世代に大きな影響力を持つ人たちには、政治家、官僚、企業家、科学者といった立場を超えた人間としての倫理観はぜひ備えてほしい。

現在、当会の環境倫理部会では「脱炭素時代における環境倫理」として、この時代に生きる人間としての基本倫理に加え、政治に関わる人の倫理、消費者倫理などについて議論している。そして、倫理や智慧といった「人間性」「人間力」を、環境問題など社会的課題の解決に向けた基本姿勢として発信したいと思っている。


暑い夏に、少し深刻な話題になったが、トトロの世界でも、ドラえもんの世界でもいい。子どもたちに夢や希望が持てる未来を残すために、残された時間は限られている。

(注)日本学術会議によると、科学者とは、人文・社会科学から自然科学までを包含する全ての学術分野において、新たな知識を生み出す活動、あるいは科学的な知識の利活用に従事する研究者、 専門職業者と定義。