2021年10月号会報 巻頭言「風」より

グリーン化と脱成長

藤村 コノヱ


先月号の裏方で、温暖化は100%人間活動の影響であり、影響は予測以上のスピードで進行しているというIPCCの報告を受けて、焦りを感じていると書きました。実際、日本も脱炭素社会へと舵は切ったものの具体的な政策はほとんど示されておらず、気候危機問題に大きな影響を及ぼす政治も、総裁選、衆院選後、どんな政策がどんなスピードで示されるか、とても気がかりです。

そうした中、当会として当面は、多くの人に現状を伝え行動することの必要性を理解してもらう活動や政府への提案を続けることが必要と考えています。その一方で、日本の進むべき方向についての本質的な議論を、そろそろ表立ってすることも必要ではないかと感じています。

斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』が大ヒットしていますが、当会でも以前から、同様の議論は折に触れ繰り返されてきました。「地球環境の限界に達している以上、経済成長を前提とする資本主義では無理」「それに代わるシステムが提示されていない中で、否定するだけでは無責任」「多くの人に理解されなければ社会は変わらない」「脱成長というと全ての成長を否定しているように聞こえるが、経済成長に限れるか?」等々の悩ましい議論が続いています。

では、一般的にはどうでしょうか。

先月号でドイツ在住の有坂陽子さんがドイツの緑の党の状況など報告してくれました。ドイツでも、緑の党そして市民団体の間でも、脱成長=原理派とグリーン成長=現実派で意見が分かれているそうですが、そういう議論があること自体、ドイツだなと思いました。

翻って日本では、残念ながらそこまでの議論が表立って行われたことはなく、あくまで学者レベルの、あるいは内輪での議論に留まっており、まして政治家のそうした議論など聞いたことがありません。コロナ感染がグローバル化した社会・経済とも深くかかわることから、コロナ後の目指すべき方向として「グリーン・リカバリー」という言葉も出てきました。しかし、日本の政府が考えるそれは、あくまで、成長戦略としてのグリーン化であり、成長そのものを問うものではありません。

今回の総選挙に関して、自民党事務局に長年在籍した久米晃という方が、「自民党は欧州にみられるような政党ではない。ドイツのCDUやSPDはイデオロギーや思想があってできた政党でそこから議員が出るが、日本の自民党は議員バッジをつけた人が集まって政党を名乗っており質が違う」(9月7日付朝日)と語っています。日本の野党がどうなのかはよくわかりませんが、少なくとも昨今の自民党を見ていると、本質的な議論は皆無で、思想、理念、信条のない政治家に真の政治ができるはずがないと改めて思ったりしています。

そうしたことを反映してか、日本の現在の環境政策も、技術革新を進めて経済成長する社会を目指しているようです。また、環境派の研究者の中には、本質的には脱成長の必要性を考えている方もいますが、すぐには難しいとの思いからか、脱成長ではなくグリーン成長を表明する人が多いように思います。一方、既得権益のある大企業の多くは、政府の言うグリーン成長に賛同でも、経済成長なしに企業は存続しえないという考え方に固執しているように思われます。


そうした中、グレタさんの行動から始まり、気候正義を訴える若者の活動が世界中に広がっています。グレタさん自身は、その発言から察するに、現行の資本主義を否定し脱成長を求めているようですし、賛同する若者たちもきっとその理想に向け活動しているのだと思います。しかし、懸念もあります。それは、理想を掲げることはとても大切ですが、本当にその意味を理解しているのだろうか?資本主義の光と影、脱成長の意味を仲間内ででも議論しての主張なのだろうかという点は疑問です。(以前に、そうした議論はしているかと尋ねたところ、避けているとの回答でした。)若者だからそれでいいという思いもありますが、本質的な議論なしでは、結局卒業して企業に入れば、「朱に交われば赤くなる」のではないかと思うのです。ちなみに、ドイツでも、それらの活動に参加する若者の中には、「流行りで正当っぽい正義的な理由で先生も承認で授業をサボれるから行く」という若者も多いそうです。

私自身は、と言えば、気候危機を乗り越えるには、地球環境の限界を超えた現在の社会・経済そして暮らしの転換が不可欠だと思っています。特に、全ての生命と社会経済活動の基盤である「環境」を破壊する、ひいては格差を広げ人々を幸せにはしない、倫理なき経済は改めるべきだと思います。しかし、経済の中身を量から質に変えればいいのか(グリーン成長)?それとも蔓延した資本主義の下では脱成長しかないのか? 難しいところです。ただ、経済を動かすのも制度を作るのも人間である以上、人々の考え方が変わらない限りは行動も変わらず、原理や理想だけでは人々は動かないことも事実です。だから、「学び、考え、それを活かして行動する」ことの大切さを伝えるために現在の活動を続けているわけです。


脱原発も含めたグリーン化でさえもままならない日本で、脱成長などということはまだまだ先の話かもしれません。ただ明治の新しい時代になるのにも四半世紀以上かかったように、市民が変わり、政治家が変わり、制度を変え、社会が変わるには長い時間がかかります。しかし気候危機はそんな人間の都合などお構いなしに進行するばかりです。

思想・信条そして世代や立場も超えて、日本が向かうべき方向について、原理や理想と現実を見ながらの議論を進め、少しでも合意点を見出したいものです。