2022年2月号会報 巻頭言「風」より

ルールをつくり守るドイツとの出会い

杉浦 淳吉


このたび新たにこの巻頭を書かせていただくことになりました。これを機に少しでも貢献できるよう、心新たにしております。

さて、私は2020年11月から2021年9月まで研究活動でドイツに滞在しておりました。今回は私がこの国とかかわるようになった経緯をご紹介させていただきます。

私は主に大学院生として過ごした1990年代、環境に配慮した行動の普及に関して、社会心理学の立場から研究を行っていました。私たちは「環境に配慮したい」と頭で考えていても実際の行動には至らなかったり、「自分一人くらいは」との心理が働いて環境負荷の高い行動をとってしまったりします。そうした時、如何なるコミュニケーションが行動の促進に有効か、それが私の博士論文のテーマでした。研究には実験や調査のほか、ゲームを活用した問題解決手法にも関心をもち、「エコ・ロールプレイで学ぼう」を副題とする本でも勉強し、後に著者・藤村コノヱ代表と出会うに至りました。

2000年代に入ると、ドイツをフィールドとした研究活動を行う機会に恵まれました。その入り口として3つの接点がありました。

第1に、「環境先進国」としてのドイツです。環境配慮行動に関する共同研究のプロジェクトで2002年9月に初めてドイツに出かけました。リユースやリサイクル、交通政策など、その仕組みやルールの設定に私は強く興味をもちました。何も無批判にドイツの環境政策を崇めようとしているのではありません。良いところもそうでないところもありますが、当時から有料であった(日本でいうところの)レジ袋や容器包装のデポジット制などは、端的にいえば公平な費用負担の仕組みということがいえます。

第2に、「市民参加」によって社会的課題を議論する仕組みをもつドイツです。当時、名古屋大学教授の柳下正治さんが主宰されていた市民参加による環境政策の研究プロジェクトに参加し、2003年1月にはデンマークやドイツなどで市民参加の会議手法を調査する機会を得ました。その際、現地で合流し、議論できたのが藤村コノヱさんと加藤三郎さんでした。その後も市民参加が果たす「手続き的な公正さ」に関する調査研究をドイツ国内でいくつか行いました。

第3に「ボードゲーム」の大国としてのドイツです。ゲームを用いた広義の問題解決を研究する分野がありますが、2004年8~9月にドイツ・ミュンヘンで開催された国際シミュレーション&ゲーミング学会に参加しました。研究発表や前後して開催されたサマースクールで学んだことはとても興味深かったのですが、それ以上に衝撃を受けたのが、友人に連れていってもらったゲームショップやデパートのおもちゃ売り場です。広い店舗内の棚に圧倒されるほどの膨大な種類のボードゲームやカードゲームが並んでいるのです。その後、調査でドイツに出かける度に、少しでも空いた時間があればゲームを物色するようになりました。何が魅力かといえば、「よくこんな面白いルール、思いついたな」という応用可能な発見です。環境をテーマにしたゲームも、大人向けから子供向けまでたくさんあります。

私にとって以上3つのドイツへの入り口があったのですが、そこに在外研究という大きなチャンスを得て、2004年12月から2005年9月までドイツに滞在しました。そのほとんどを自宅とその周辺で過ごしたコロナ禍での今回のドイツ滞在からすると、なんと多くのフィールドワークを行い、たくさんの人と出会えたかと思うと涙がでそうな思いになります。その中でも2005年5~6月に加藤さん、藤村さんらがドイツ近辺で調査されるということで、ストックホルムとブリュッセルでの調査に合流させてもらったことは本当に貴重な経験でした。

その後も何度もドイツに足を運ぶこととなったのですが、その「入り口」であった3つの点は、今の私には一つのこととしてまとまっています。それは、社会的課題への行動規範としてのルールを誰がどう作り、それを皆がどう受け入れ、運用していくのか、というプロセスを検討することです。

今回のドイツ滞在は、あちこち出かけることも人に会うこともできませんでしたし、辛いことも多々ありましたが、コロナ禍における日常生活を極めるという点で得ることも多かったように思います。感染防止に関し激変するルールを常にチェックし、生活レベルで対応が必要でしたが、ルールの設定やその変化への対応という点で私の研究テーマそのものでした。

これは、2021年4月にハノーバー独日協会で講演し、また帰国後に慶應義塾大学の講義でも話したことですが、コロナ禍でのマスク着用に関して日本とドイツとでは心理プロセスに対照的な違いがみられました。ドイツではルールによってマスク着用が徹底され、守らなければ罰則もあります。ルールの細かな変化もありました。人々は指定された場所では着用しますが、その他では外します。国民がルールを受け入れるのは、それが作られるプロセスへの信頼もあるはずです。他方、日本ではコロナ以前の習慣もありますが、法的根拠も罰則もなくてもほとんどの人が一貫してマスクをしています。社会心理学的な一つの説明として、日本では皆がマスクを着用しているという社会的規範の認識から信念としての個人的規範への変化としてみることができます。

他にも、コロナのワクチン接種証明や陰性証明によって社会的行動の制約が解除されるルールは日本とは対照的です。ドイツから帰国した現在、ともすれば社会の分断を招くこうしたルールの課題について考察しているところです。そうしたことについては機会を改めてご紹介したいと思います。