2022年9月号会報 巻頭言「風」より

「人」と「教育」の力を信じて

藤村 コノヱ


今夏は、日本では猛暑日日数が過去最高となり、8月には東北・北陸などで豪雨が続きました。一方スペインやフランスなど欧州でも猛暑が続き、干ばつや豪雨も世界各国で発生するなど、気候危機がいよいよ本格化の様相を強めています。 一方国内ではコロナ感染拡大も止まらず、医療機関のひっ迫、検査キットの不足など、これまでの課題が3年目を迎えても繰り返され、結局は自己責任という流れになるなど、政府の、経済優先の姿勢、問題の先送り、無責任体質はトップが変わっても変わりません。

国際競争力ランキングで日本は34位(スイス国際経営開発研究所、22年)という状況や昨今の不安定な経済状況から「その回復を」と考えることは理解できます。しかし、これまでのやり方は既に限界にきていることは明白であり、持続可能な脱炭素時代を実現するには、政治・経済の仕組みやそれらを掌る私たち人間の行動や価値観が変わらない限り、停滞と後退は止まらないのではないかと思います。ただ課題が山積する中で、どこから手をつけるかについては様々な意見がありますが、「人」と「教育」の力を信じている私は、抜本的に教育を変えていくしか日本が生き残る道はないと常々思っています。改正前の教育基本法(1947年制定)の前文には、『われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。』と国家建設の基本が教育にあることが明記されています。

教育の目的には、個人の人間性・徳の成長と、社会の一員としての市民道徳の成長があると思います。勿論前者は個人差もありますが、同じ人間である以上、最低限求められる人間性・徳といったものは時代や人種が違っても大きく変わるものではないように思います。一方市民道徳に関しては、多くの場合各々の国の体制や方向性が反映されます。それ故、国がどのような社会を目指すのかを明確にすることが特に学校教育には重要です。

日本の場合、明治以降は「富国強兵」、さらに戦後は高度成長期から現在に至るまで「経済成長」を政府も企業も市民も目指してきました。そのため、安倍政権下で行われた教育基本法改正や教育再生会議でも、「市場経済に巻き込まれている現在の教育を、持続可能な社会を支える教育としてどう立て直すのかという本質的観点は見られず、現在の経済システムを是とした議論でしかない」(07年4月号「風」)という状況でした。その結果、例えばプログラミング教育の必須化や個々の児童・生徒に端末を配布するなど、産業界の意向に沿った人材育成を目指す教育政策が現在も続いています。

しかし、経済発展の裏で、気候危機など地球環境の悪化や、人や自然とのつながり、ゆとり、社会への関心、利他の心など様々なものが見失われた今、これから目指すべき社会は、気候変動やコロナなどの感染症にも耐えうる「持続可能な脱炭素社会」であり、貧困・格差などのない「全ての人が安心・安全に心豊かに暮らせる社会」しかあり得ないと思います。そして、その実現に向けては、「今だけ、金だけ、自分だけ」といった現在社会を覆う利己を脱し、「自覚、中庸」などの人間性や徳を培い、「他者への思いやり」を忘れない社会道徳を育むような教育が大切だと思うのです。

しかし、そうした教育を行うには、日本の現状はあまりに厳しい状況にあります。

全ての教育の出発点であり、家族との触れ合いを通じて、人間性や徳の原点を育む場であるはずの家庭にも、ゲームや習い事といった形で商品化された経済が侵入し、家庭でしか得られない人間性や徳の習得機会が大人の都合で失われています。さらに心身ともに調和のとれた人間になるための基礎・基本を培う場であるはずの学校も、前述のような状況に加え、全国公立学校1897校で2558人の教員不足(昨年4月時点)、教育予算の継続的削減など、「教育を成果や効率性といった経済論理だけで議論し判断する日本のリーダーたちの教育に対する認識の低さ」(08年9月号「風」)が災いして、偏ったものになっています。実際ある会合で、現場の教員から、世界一労働時間が長い日本の教員の労働環境改善、正規教職員採用増加のための予算確保、地域社会の理解と支援を求める声明が出されたそうです。

しかし、そんな厳しい状況の中でも企業ではわずかな変化も見られます。

私は数社の企業研修に関わっていますが、継続的な研修により、受講生は自らの成長だけでなく、常に会社や社会、次世代にも思いを馳せる習慣がついてきて、経営にも反映され始めています。また企業では、社会での存在意義を問い、それを軸にした「パーパス経営」が流行りだそうです。企業存続には自社だけでなく社会の利益も考えようという「三方よし」と似ていて、今更という気もしますが、学びを通じて従業員一人ひとりにも浸透し、そこで働く意義や個人の価値観とすり合わせができれば、個人の成長にも「四方よし」の経済活動にもつながっていくように思います。

誰もが関わる「教育」に誰もが関心を寄せ、家庭、地域、学校、職場など自分が関われる場所から行動を起こす。また、賢い消費者として行動することで、がんばる企業を応援する(参照:提言「脱炭素」時代を生きる覚悟と責任)。6月号で増井利彦氏は、企業や自治体が変わろうとする中、あまり変わろうとしない消費者や市民も行動を変える時がきたと記しましたが、教育を変え、私たち市民・消費者が変わることで(卵と鶏の関係ですが)、経済が変わり、社会が変わる、そんなうねりを生み出したいものです。