1994年11月号会報 巻頭言「風」より

地球、人間そして私達

加藤 三郎


地球は生命の星である。宇宙広しといえども、これほどの数の生命があふれ、躍動する星はこれまでのところ見つかっていない。その地球の生命の源が水であることはよく知られていよう。

46億年に及ぶ地球の歴史のなかでは比較的早い段階で大気中の水蒸気が大量の雨となり、それで海ができた。その原始の海のなかでやがて生命のカケラが形成される。その生命のカケラが気の遠くなるような長い時間のなかで、光合成をする細胞(らん藻類)を生み出した。この細胞が、海のなかで太陽の明かりをうけて酸素を吐き出し、地球の大気の質をゆっくりと変えてゆく。原始大気のなかの酸素の濃度が増えるにつれて上層部にオゾン層が形成され、強力な太陽光線から生命を護る機能が加わる。オゾン層という地球をすっぽり包む宇宙服が完成したことにより、それまでは海の中にひそんでいた生命が一斉に上陸を開始する。この時までに、地球の誕生から40億年を超す膨大な時間を要したという。

この頃になって、生物の種が爆発的に増え、例えば、私達にもおなじみの巨大なシダ類も、恐竜も、また哺乳類も次々と現れてくる。しかし、人間がこの地球上に現れてくるのは、それからさらに、ずっと後のことだ。振り返ってみれば、地球のこれまでの時間の99.9%には、人間など影も形もなかったのだ。

地球にとってまったくの新参者にすぎない人間が、火や道具を使い、さらに農耕を始めたことから独自の文明をつくり、近代に至って都市・工業文明を築き上げた。そして最近まで、その一方的拡大を“進歩”と思い込み、遮二無二突き進んだ結果、とうとう地球の「限界」にぶち当たってしまった。

ただここで問題なのは、その限界なるものが必ずしも明瞭ではないことだ。私には、様々な状況証拠からもはや限界にぶち当たったと感じられるが、そのことは万人に自明ではない。地球が膨大な時間をかけてつくり上げた生命維持装置である環境の破壊も、気象の異常も、そしてまた異様な人口の増加も、なにを見ても危機とも限界とも感じない人の数は多い。またよしんばそれを感じたとしても、今日の生活や社会システムのどこをどう変えればよいのか見当もつかない人も多かろう。

私とて暗中模索だ。まだ心地よい今のぬるま湯にいつまでも浸かっていたい気もするし、これから脱け出すのは不可能にも思える。しかし今の文明と破壊のスピードを考えると、全面的な崩壊もそう遠くないと思われる。この挑戦にどう応えうるか、当会の正念場もすぐそこだ。