1995年6月号会報 巻頭言「風」より

バンコクでの苦い思い

加藤 三郎


この3月、久しぶりにタイの首都バンコクを訪れた。実に19年ぶりである。実は若い時に3度ほど、東南アジアの要と言われるこの都市を訪れているが、その後は機会がなかったのである。今回は、当地に本部を置く国連のアジア太平洋事務局と日本の環境庁とが主催した地球温暖化対応戦略づくりのための国際セミナーにおいて座長をつとめることが直接の用務であった。

話には何度も聞いていたが、バンコクの変貌ぶりには驚いた。前に来たときにはなかった高層ビルの林立や高架高速道路そしてすっかり有名になってしまった車の大渋滞などに代表される現代都市文明の姿がそこにはあった。この国の「発展」とか「経済の活況」とか言われるものを見ようと思えば、すぐそこにあった。しかし、かつて私をあれほど魅了したエキゾチックなまちの誇らしい面影や芳しい香りはほぼ消え失せ、アジアの他の多くの都市と同様の、「経済の発展」という単一の価値観に屈服した都市がそこにはあった。

しかし誰がこのまちを非難できようか。なぜなら、バンコクに代表されるこの国の変貌の仕方こそ、ほとんどそのまま日本がこれまで辿ってきた「経済の発展」と言われるもののコピーなのであるから。実際、バンコクの街角に立ち、自動車排ガスのむせるような臭いやかつて生活の舞台として活況を呈した運河のドス黒い汚れを見ていると、これはまさに日本の都市が辿ってきた道だということをいやでも思い出させるからである。つまり日本が都市化、工業化において少しばかり先をゆき、それをアジアの諸国が必死で追いかけている経済発展のパターンが透けて見えてくるのだ。

だからといって私は、タイなどの経済発展そのものを批判しているわけではない。私が心配しているのは、日本などの先進国がさらに経済的豊かさを追い求め、途上国は途上国でなりふりかまわず同じパターンで追いかけ、これらがあいまって人類の生存基盤である地球の環境資源を取り返しのつかないほど傷めてしまうことである。

私もタイなどの発展途上国が「豊か」になってほしいと願う。しかしその方法は、日本などの先進国が辿った道しかないのであろうか。環境をあまり傷めず、人が豊かに暮らせる道は他にないものなのだろうか。自らのこれまでの発展の道筋を批判的に再検討しながら、新しい経済社会のあり方を提示しなければとの、なんとも苦いバンコクでの思いであった。