1995年12月号会報 巻頭言「風」より

「景気」がそんなに大切か-再説

加藤 三郎


本誌創刊以来、当会代表の責任の一環として、私は本欄にほとんど毎回、その時々の思いを書きつづってきたが、それに対し、直接すぐにご意見をいただくことは、ほとんどなかった。

ところが、9月号に「景気」がそんなに大切かを書いたところ、いつになく多くのコメントがすぐに寄せられた。そこで会員の多くがこの問題に少なからぬ関心をお持ちであろうことを察したのである。

9月号で私が言いたかったことを今一度整理して言えば、次のようなことになろうか。

  1. 「経済」は人間が生きていくうえで最も必要なものの一つであること。
  2. しかし顕著になってきた地球環境の破壊が明確に示すように、世界人口の異様な増加と、その一人ひとりが物的豊かさへのあくなき追求の結果、われわれの「経済」は地球の限界に、少なくとも部分的にぶつかってしまったこと(まだ気づいていない人は沢山いるが・・・)。
  3. 特に日本のような先進国にあっては、ひたすら「経済」の拡大と豊かさとを貪欲に追い求め、数十年にわたって、数%~10数%の「成長」を維持し、いまでもそれが当たり前だと思っている人が経済政策決定者(行政官、政治家)にきわめて多いこと。
  4. なかでも「バブル経済」により、株や都会に土地を持っている人は資産が短期間のうちに大幅に増加しただけでなく、金融機関などの経済の中枢までも、欲にかられてこの異常なバブル状況の永続を見込み、土地を担保に金を貸すなどのことを繰り返してしまったこと。
  5. バブルがはじけて当てがはずれた人のなかに、今回は特に政治的、社会的に声の大きい人が多かったので、損失補填などを求めて「景気」の回復を叫び、政治、マスコミまでがそれにこだまし、増幅した。その一方で、年金生活者など政治的弱者は、金利低下による利息の減少など一方的にシワ寄せられている面が強いこと。
  6. このような社会的不公平も問題ではあるが、より本質的な問題は、有限な地球環境のなかで、無限の成長を企図している「経済」政策に景気対策という一時的な“気つけ薬”を与え続けていてよいものか、ということである。もういい加減に、「これまでのやり方では、地球の環境も経済も、したがって、自分たちの生活もやがてだめになってしまう」ということに気がついて然るべきであること。
  7. しからばどんなやり方があるか。さしあたって、21世紀までの5年間を「準備期間」と思い定め、個人も、企業も自治体も政府もそれぞれの立場で、①地球環境の限界のなかで持続的に機能しうる生産・消費のパターンは如何なるものか、②そのためには、どのような価値観や経済制度(環境への悪影響に応じた料金や税の創設。税収の環境保全への配分。環境への有害な公共事業の削減など)を持つべきか。③このような制度に対する理解や支持を得るためにも情報提供や環境学習は今のままでよいのか、④どのような産業に新たな雇用を見いだしてゆくべきか(農林業や環境・静脈産業などはその一つ)、⑤このようなことを理解し、押し進めるためには、どのような政党や政治家を持つべきか。

ざっとこんなことについて検討し、制度化する努力を全面的に開始すべしと考えたのである。引き続き会員の皆様のご意見をいただければ幸甚である。