1996年4月号会報 巻頭言「風」より

頑張れNGO

加藤 三郎


90年代に入って日本でも、NGO活動の必要性、重要性がよく語られるようになってきた。市民団体の活動に対し、かつては白い目で見たり、反感を示すことも多かったところでも、最近は「NGOを育成、活用すべきだ」などとごく当たり前のように言うようになってきた。経団連がNGOと一緒に熱帯林保護のミッションを出したり、政府も内外のNGO活動を支援する基金を設け、それを次第に拡大している。政党もNGO支援の立法化を進めているようだ。

ところで日本には環境に関するNGOと考えられるものは、(財)日本環境協会が編集している『環境NGO総覧』に登載されているものだけでも4500ほどある。その数あるNGOを私なりにタイプ分けしてみると、①同好会・趣味の会的NGO、②政府や都道府県等に財源や「指導」を依存している補完的NGO、③政党、宗教団体、会社等の教育、宣伝を主眼としている教宣的NGO、④政府や体制に対する批判を専らとしている反体制的NGO、そして⑤独立し、自主的に活動して行動力ないしはアイディア・政策の提言などを通じて広く社会一般に働きかける自主・独立的NGOの5つがあるように思う。もちろん当「考える会」は、⑤のタイプのNGOとしてこの2年半活動してきた。

どのNGOもそれなりの役割をもっているが、②と③のNGOを除き、ほぼ共通して言えるのは、会員数も活動資金もきわめて小規模であり、活動対象が日本のことにほぼ限られていることだ。これは欧米の有力NGOと比較してみるとあまりにも明らかで、例えばアメリカのネイチャーコンサバンシー(TNC)の場合には会員80万人、ドイツのブンド(BUND)は22万人、カナダ生まれでオランダに本部をおくグリーンピースの場合には310万人の会員が世界中にいる。一方わが会は、現在のところ約850人・団体の会員と年間1900万円程度の活動資金ではあるが日本の環境NGOの中ではすでに「大手」になるというから驚きである。ことNGOに関しては日本は開発途上国そのものである。

なぜそうなったのか、理由は簡単だ。荒っぽく言えば、これまでの日本では、政府・自治体に企業そしてその支援組織さえしっかりしていれば、日本を動かすのにはほぼ事足りると考えられてきた。だから特に⑤のタイプのNGOなどうるさいだけで必要性を感じなかったから、その活動基盤を制度的に整備することもなかった。企業などの経済活動の基盤整備にこれまで投じられてきた膨大な資金とエネルギーと対比してみれば、月とスッポンどころでないのはすぐにも明らかであろう。

しかし時代は大きく変わりつつある。効率性や優秀さを誇ってきた数々の日本的システムが今われわれの目の前でもろくも崩れ始めた。このような風化作用が劇的に進行する中にあって、社会を支えながら、時代の潮流に順応するよう転換を促す可能性としてのNGOが、今改めて真剣に問われ、試される時代になった。つまり、この会に集うわれわれの力量も問われているのだ。