1996年11月号会報 巻頭言「風」より

「憲法と環境」再説

加藤 三郎


私たちの子や孫も今日程度の環境を享受できる持続可能な社会を築くため、日々努力をしている視点から、わが国の現行憲法を改めて読み直してみると、明らかに時代にそぐわないところがある旨この6、7月に本欄で指摘した。何しろ50年前に制定したまま一字一句も変えていないだけに、憲法に「環境」のことが全くふれられていないだけでなく、自治体やNGOなど現在の社会を生き生きと動かしている主体が、憲法には適切に位置づけられていないと考えたからである。

この小論に対し、予期していたようにいろいろなコメントが寄せられた。「憲法などトント読んだこともないのでよい勉強になった」、「韓国や中国の憲法にも環境のことが書いてあるなんて少しも知らなかった。他の国についても教えて下さい」といった類のものから、「憲法のことなど素人が軽々しく論ずるのは不謹慎だ」、「憲法に環境のことを麗々しく書いたって堂々と汚染を続けている国もあり、憲法に環境があるかないかはたいした問題ではない」、「今の政治状況下では、憲法改正はできっこない。論ずること自体無意味」、「こんな議論をされると憲法9条にひびき、パンドラのふたを開けることになり危険きわまりない」などである。

こんなコメントを胸に納めて、9月ドイツに行ってきた。直接の目的は、ドイツの画期的な環境法である「循環経済・廃棄物法」の施行を直前に控えて、政府や民間にどんな動きが出ているかを若くて気鋭の廃棄物処理の経営者等と一緒に調査することであった。その旅のなかで案内をしてくれたドイツ在住の立法行政情報のリサーチャーの中曽利雄氏に、ドイツの憲法では「環境」のことがどう書かれているかを私はたずねた。

中曽氏によれば、ドイツでは1980年代の初めから環境保護をドイツの憲法(基本法)に追加すべしという議論が議会、政党レベルで提起されていたが、東西両ドイツの統合(90年10月)を契機に再び強く論議されるようになった。主張には政党により大きな隔たりがあったが、最終的には「国家は、将来世代に対する責任においても、憲法秩序の枠内において、立法、行政、司法により自然環境を保護する」旨の規定を、国家の原則を定めた条文に追加するよう94年10月に憲法が改正されたことを教えてくれた。これによりドイツを民主的かつ社会的連邦国家とするという二つの大原則に加え、エコロジー原則が新たに加わったことになる。また中曽氏は、ドイツでは、時代の変化に応じて憲法の改正は42回に及んでいることも教えてくれた。

日本に帰ってしばらくしたら総選挙となった。この総選挙でも環境問題は争点らしい争点にならなかった。この国では憲法に環境を位置づける議論どころか、環境アセスメント法すらまだできていない。ましていわんや環境税をやである。

これは一体何を意味するのだろうか。憲法や法律などいじらなくても、解釈などにより時代の変化に対応できると多くの国民は考えているのだろうか。それとも単に、政治の無気力なのか。はたまたそのような政治を選びとっている国民の問題か、いろいろと考え込んでしまうこの頃である。