1997年5月号会報 巻頭言「風」より

稲盛VS関本“論争”(1)

加藤 三郎


去る2月20日、毎日新聞社はその創刊125周年を記念して設置した「21世紀危機警告委員会」のシンポジウムを開催した。私はこの委員会に置かれた技術評価委員会の委員長として、このシンポジウムの共同司会を同社の原剛編集局特別委員(当会の理事でもある)とともに務めた。このシンポに参加した内外の著名な有識者の意見は、いずれも考えさせられることが多かったが、環境文明論の立場からは、京セラの稲盛和夫会長とNECの関本忠弘会長の意見が特に興味深く、重要に思えた。

稲盛氏は大略次のごとく述べられた。「現在の地球環境の破壊には私たち経済人は大きな責任を有する。経済人は豊かな生活を保障し、またそれを確立するために大量生産・大量消費の経済システムを築き上げた。実は、そのシステムを維持するためには、なるべく寿命の短いものを使って、捨ててもらう「使い捨て」が重要なファクターになっていた。そのことこそ再生産・大量生産につながり、人類の生活を豊かにしてくれると信じ、実行してきた。しかしそのために地球上の資源は浪費され、汚染は加速度的に増加したと思う。

私ども経済人は、地球環境の危機を本当に感ずるのであれば、これまで金科玉条としてきた大量生産・消費のこの経済システムを根本から変えねばならない。それは決して簡単ではなく、自ら痛みが伴うが、そういう大変厳しい課題を私たちは突きつけられたと私は理解している。

しかし、豊かな先進国も未だに経済成長を望んでいる。途上国の人達も先進国の経済に追いつき、高度な文明生活をエンジョイしたいとこぞって努力している。そのためエネルギーや資源の消費は膨大なものとなる。そういう中で先進国がさらに3%の経済成長を地球環境と調和しながら持続することが本当に可能なのか。もしわれわれが3%でゆき、途上国はわれわれに追いつこうとさらに努力してきたら、膨大なエネルギー消費により地球環境は加速度的に悪化するのではないか。

実は仏教の教えの中に「足るを知る」という素晴らしい言葉がある。日本は世界第2位の経済大国、大変富める国になったのだから、これ以上の繁栄とこれ以上の消費文明はもうやめようではないか。「足るを知る」をベースに、改めて経済システムを考える必要があるのではないか。

私はネガティブな考え方をしようと言っているのではない。高度な経済成長はできないが、環境と調和できる新しい視点で経済を見直してゆく。「使い捨て」経済ではなく、ものを大事にする経済。そういうものを考えてみても、十分経済活動をやっていけるのではないかと私は思っている(以上、要約の文責は加藤)。」

この経済人としての稲盛発言は、私にとってはきわめて新鮮な驚きであった。稲盛さんのおっしゃったことは日頃私が考え、著書や本誌などで繰り返し表明してきたこととほぼ同じラインのものであるが、日本を代表する大企業の経営者である稲盛さんの口から、公の席でこのような考えが述べられるとはうかつにも思ってもいなかったからである。稲盛さんの発言も率直であったが、この後、すぐにマイクがまわった関本会長の発言も対照的に率直で面白く、かつ考えさせられた。次回にはそれを紹介し、あわせて稲盛vs関本発言への私のコメントを述べてみたい。