1997年6月号会報 巻頭言「風」より

稲盛VS関本“論争”(2)

加藤 三郎


前回は、毎日新聞社主催のシンポジウムでの稲盛和夫京セラ会長の“足るを知る”をベースとした経済システムを考えてみたい旨の発言を紹介した。そのすぐ後をうけて発言したのは関本忠弘NEC会長であるが、大略次のように話された。

「世の中というのは、私の言葉で言えば「正・反・合」。地球環境を維持することと持続的経済発展をすることは一見、相矛盾する。と言って、寝ていれば済む問題ではないし、環境をどんどん破壊してもいい問題ではない。これを如何にアウヘーベンするかだが、そこにあるのはやはり人間の「知恵」なのです。

われわれは今、“共生できるや否や”ではなく共生しなければならない。それには今のままではダメで、だからこそ知恵を働かさなくてはならないのです。

その知恵の一つは科学技術の活用、これによれば、私はやはり持続可能な経済発展が可能だし、それによって人が幸せになれる。やっぱり基本は人が幸せになることなのです。しかし環境を破壊してまで幸せになることはできない。環境破壊は幸せにつながりませんので。

もう一つは、社会システム。例えば、廃棄物をどう集め、どう処理するか。ちなみにNECは、90年に比べ95年には産廃を実に65%削減しています。

しかし、2~3%ぐらいの経済成長をやっていかないと、経済は回りません。経済理論から言って、個人消費がないところでは経済は伸びないんです。設備もできず、税収も減れば、公共投資もできません。となると、あとは死を待つだけなんです。それでは困る。基本にはこの問題意識をもたねばならないと思います。

私は、環境問題の基本は、ことに産業界としては、われわれの問題であるという認識のなかで、自主性を持って、知恵を働かせてやっていかなくてはならない。例えば核融合発電ができれば、無限の、きれいなエネルギーを使うことができる。それをどう使うかは別ですが。(発言内容の要約の文責は加藤)」

この稲盛、関本という日本を代表する企業の大経営者の環境哲学を伺い、その微妙な、しかし明確に異なるアプローチに刺激を受けた私は、まず稲盛さんに対しては、「足るを知る」という哲学的基盤の上で経済システムを考えていくというが、具体的にはどんなことをお考えかと質問した。それに対して稲盛さんは「具体的なものは持っているわけではない」と前置きした上で、大略次のように追加発言された。

「私自身も一経済人として、環境問題を解決しながら人類がもっと豊かに、幸せになっていく道を選びたいという気持ちはありますが、もうすでに地球の環境容量を超えつつあると私は思うものですから、仏教が教える「足るを知る」をベースに新しい発想をしなければならないと思ったわけです。

われわれが現在の文明社会をつくってきたのは、人間の欲望をさらに満たすために、それを動機として知恵を働かせてサイエンスも技術も発展させ、今日の豊かな文明をつくってきた。それは欲望がきっかけです。その欲望が際限もなく肥大化してゆくところに、地球の環境容量を超えつつあると私は思うものです。それは人類の傲慢さであり、私はやはり人間として「これでいいのだろうか」と思うのです。(さらに次回に続く。なお、毎日新聞社は、このやりとりを含め一連の全記録『環境の世紀へ』を今月初めに出版している。)