1997年8月号会報 巻頭言「風」より

恐竜ほどの知恵もないのか

加藤 三郎


ご存知のことと思うが、人類は4~5百万年にわたって、他の動植物や微生物とともにこの地球の中で生きてきた。この時間は、私たち一人ひとりにとっては途方もなく長い時間であるが、生物の種の生存時間としては、さほど長いものではない。現に人間のまわりには、それ以前からずっと生き続けてきている動植物の種の数は、少なくないからである。

昨今、映画などを通じてすっかりお馴染みの恐竜は今から6500万年ほど前に“突然”姿を消したが、それでも約1億6000万年ほど地上に君臨したという。それからみれば、万物の霊長などと威張っている人間のこれまでの4~5百万年は、恐竜の生存時間に比すればわずか3%にすぎないのであるから、まだまだ若い、未熟な存在ともいうべきか。

その恐竜と人間との決定的な差は、近代に至って欲望に歯止めをかけることを拒否し、しかも科学技術の力をあわせ獲得したことにあるように私には思われる。人間だって最初から今日のようにのさばって生きてきたわけでは決してなく、地球の生態系の片隅で、時には他の動物や大自然の脅威また病気などの猛威に身をすくめ、恐れおののきひたすら祈って生き抜いてきたに違いない。このような生のなかから、自ずと信仰や祈り、戒律やタブーといったものが言い伝えられ、民族の間に共有されたに違いない。

エジプトや中国などに古代文明がかなりの成熟をみたのは、今から5千年ほど前で、この頃の世界の人口は、やっと1億人程度であったろうと推測されている。別の言い方をすれば、4~5百万年かかって、人間の数はやっと1億人に達したということで、仮に年毎の平均増加率をはじいてみれば、ほとんどゼロである。ちなみに、西暦元年頃の世界の人口は約3億人と推測されているので、19世紀末の16億人までの年平均増加率をはじいてみると0.088%ほどであり、これまたゼロ・グロースにかなり近い。

一方、物の豊かさの方はどうだったかを一言で言うと、マクロ的、長期的には、20世紀に入るまでは、これまたゼロ・グロースに近い。(100円でも年率3%の複利で成長すれば、わずか1000年で687兆4200億円余りとなる増加の力を想起されたい)。

それが20世紀に入ると、それ以前の数世紀かけて蓄積され、試されてきた自然科学の力とベーコン、デカルト、アダム・スミスらによって積み上げられてきた人文・社会科学の力とが産業や政治に結びつき、爆発的、革命的な力を獲得した。その結果、社会・経済はわずか1世紀足らずの間に一変し、長いことバランスのとれていた地球環境を取り返しがつかない程に破壊しつつある。この20世紀社会経済の奔流は大洪水の様相となり、もはやほとんど誰も止めることはできず、破壊をほしいままにして、水が退くのを待つしかないかと思わせるほどのものである。

しかしそれでは、あまりに知恵がない。恐竜ほどの1億6千万年とはいわないが、せめてあと1世紀、なんとかうまく生き続けられれば、その後に確かな展望がもてる。その知恵も多分、難しいことではなく、要は一時の経済的繁栄ではなく、人類の永続を優先するという、昔の人なら誰でも知っていたことである筈だと思うこと、しきりである。