1997年9月号会報 巻頭言「風」より

環境「省」への注文

加藤 三郎


8月に開催された政府の行政改革会議(会長は橋本総理)の省庁再編に関する集中審議において、環境行政については「環境安全省」に一元化されることが固まったと報道されている。実際、これが実現すれば、現在の環境「庁」が環境「省」になり、環境行政の基盤がより強化されることを意味し、喜ばしいことである。

しかし、この直後、橋本総理は中央省庁再編は山登りにたとえればやっと1~2合目に達したにすぎず、これから先にも乗り越えねばならぬ課題が山積している旨述べたと報じられている。現にリストラの対象となった省の閣僚や与党の部会などから早くも不満や批判が噴出しているし、組織の陣取り合戦も始まっている。

行革会議から政党レベルでの議論に移り、各省の設置法の改正がなされて、初めて正式な決定となるので、これから先も省庁再編には山あり谷ありだが、橋本総理のお声がかりで固まったとされる「環境安全省」の設置をまずは歓迎し、少し気が早いが、環境「省」に対する注文と期待を表明しておきたい。

(1)省益ではなく国益ひいては人類益を

環境行政であれ何であれ、人により組織により見方、考え方そしてアプローチが異なるのはむしろ自然であり健全である。しかし、その相違がある特定組織の利害に重点をおき、全体や長期的な利益を軽視ないしは没却している場合には、その「相違」からは建設的な発展が望めぬだけでなく、必要な決定すら歪められ、遅延させられる。

最近、縦割り行政に対する国民の批判が厳しいのは、国益に沿った大決定が、省益によりいたずらに薄められ、引き延ばされる弊害が目に余るからであろう。国益のみならず人類益がかかっていると言っても過言ではない国連の地球温暖化防止のための京都会議(COP3)に向けて、議長国たる日本政府の方針が、未だ明確に定まっていないが、これは私の過去の体験及び報道を通して言えば通産省のゴリ押しによるとの印象が拭えない。

新しく設置される「省」は、このような苦い経験の反省の上に立ち、省益が国益ひいては人類益を損なわないよう組織され、国民の監視の下に置かれるべきである。

(2)「川下」だけでなく「川上」へ施策を

最近の行政、例えば廃棄物行政を見ていると、廃棄物になる前(「川上」)へのアプローチが弱く、発生した廃棄物(「川下」)の後始末に追われている印象が拭えない。例えば大量生産・大量消費のメカニズムには手をつけずに発生した大量の廃棄物をやみくもにリサイクルしようと頑張っている姿が目立つ。ダイオキシン問題も、その発生の原因やプラスチックス多用の社会的要因に肉迫せず、単に焼却工場の大きさや技術だけに尻をもっていこうとしているように思える。これでは、絵に描いたような対処療法であり、眞の解決にはつながらない。

新しい「省」は、このようなアプローチではなく、川上にある真の原因に常に迫ってもらいたい。

(3)拡張ではなく持続性ある社会の構築を

本欄で繰り返し主張してきたように21世紀にかけては、地球環境の有限性があらゆる面で効いてくる。その厳しい制約のなかで、人類ができる限り平和に、そして心豊かに希望をもって持続的に暮らせる仕組みづくりとその実施に新しい「省」は最大の効果を挙げ得るよう組織されてほしい。