1998年1月号会報 巻頭言「風」より

21世紀への確かな一歩

加藤 三郎


難航の末に地球温暖化防止京都会議(COP3)が12月11日に閉幕した。COP3の成果については様々な見方や評価が出ているが、私は「21世紀へ向けての確かな一歩」と高く評価している。その理由は二つほどある。

一つは、ここ数世紀、特に20世紀に入って、先進諸国はエネルギーと資源の消費を加速度的に増加させてきたが、今回の合意は、まず先進国がエネルギー面で(化石エネルギーが中心だが)、史上初めて、自分の意志で、この傾向を転換して削減するのに合意したことにほぼ等しいからである。転換の幅はそう大きくは見えないだろうが、削減の方向に明確に一歩踏み出したことこそが画期的である。これにより途上国を温暖化防止に参加させる一応の足掛かりもできた。(注)

もう一つの理由は、この合意の背景にあった大きな新しい力の躍動である。京都での合意をもたらしたものは、直接的には不眠不休で頑張った政府関係者であり、その努力には敬意を表するが、同時にその直ぐ背後にあって、終始この交渉の状況を厳しく見守り、批判し、報道し、激励した内外のマスメディアと特にNGOの存在と奮闘があったことを強調しておきたい。

このような動きは、なにも今回に限ったことではない。しかし、米政府の消極姿勢、米産業ロビイストらによる執拗な反温暖化防止キャンペーン、ホストであり議長国でもある日本政府内の特に通産省の省益による足元のもつれなどが重なって、「削減」どころか意義のある合意ができるかさえ危ぶまれるような交渉が続いた中にあって、かろうじてバランスをとることを可能としたのは、NGOらの力があったればこそと思うからである。この元気さと根気強い動きは、利権やしがらみに縛られている政治家の無力と対照的である。

経済のボーダレス化が言われて久しいが、いよいよ政治、外交の世界にもNGOが絡んだボーダレス化が国益・省益などの既存の利害を乗り越えて動き出したことを京都会議は感じさせた。

なにはともあれ、わが国については温室効果ガスの「6%削減」は決まった。90年以降、バブル崩壊後も増加一途のCO2などの排出量を2010年をまたぐ5年間でネットで90年レベルの「6%削減」を実現するためには、これから先急速に引き締めざるを得ない。そこで早くも「森林に吸わせて何%、中国などとの共同実施で何%稼ぐからCO2はさほど削減しなくともよい」などの誤った解説や皮算用がなされているようだ。

しかし京都会議からのメッセージをそのように後ろ向きに受け止めるのではなく、むしろ今日の行き詰まり感の深い日本の社会を21世紀の世界に通用するクリーンで活力のある循環型社会に転換するまたとない契機として前向きに受け止め、そのための準備を全面的に開始すべきである。かつて産業公害時代、日本の企業社会は公害対策を最初はネガティブにとらえていたが、80年代以降ポジティブにとらえ直して日本経済の体質改善に見事に成功したように、温暖化問題についてもこの過去の経験から学ぶべきである。

そのような流れの中にあって、当「考える会」は今年も着実に前進したいと思う。今年のターゲットは、個々の会員(団体)の会活動へのより大きな自主的な参加である。ご承知のように、昨年から「支部・部会」活動が動き出したが、この動きを本年にはもう少し拡げ、充実したものにしたい。それに加え、本会活動の方針や内容、本誌の編集などについても一人でも多くの会員に直接タッチしてもらいたいと思っている。その一助に、今月から毎月最後の金曜日の夜に事務所(環境文明研究所)を「環文サロン」として会員に開放することとした(詳細は巻末)。会員一人ひとりが力を合わせて意味のある活動をすることにより、我々のささやかな活動が人間社会の持続性確保につながることを祈念する。

(注)前回本欄で議論したアメリカ政府の「転身」に対しては、同国の産業界、労働界及び議会から同意が得られる見込みがたたないため、ゴア副大統領は議会に京都合意の批准を求めるのを当面見合わせることにした由。この問題については当会1月の「ハワイ日米合同セミナー」でもNGO同志として米側と検討する。