1998年4月号会報 巻頭言「風」より

京都の約束はどこにいった

加藤 三郎


現代社会は、不幸にしてまことに慌ただしい。すべての出来事が意味を咀嚼するいとまもないうちに次から次へと移り去り、人はみな健忘症になってゆく。

その傾向は、特に3年前の阪神大震災のあたりから加速されたような気がする。大震災のあと、脆弱な都市・技術文明やにわかに出現したボランティアの活躍のことなど、様々なことがやっと本格的に論じられ始めたと思ったら、麻原彰晃のサリン事件が発生し、これが全てを覆ってしまった。サリン以降は政官界の不祥事、ペルーでの大使公邸事件、株価の低迷、拓銀や山一の破綻、少年の重犯罪、大人の自殺などなど、世間の耳目をひく深刻な事件が発生し続けており、まるで新幹線の車窓から外を見ているように、すべてが視野に入ってはすぐに消えていく。

空前の規模で世界から人が集まり、地球の温暖化防止を大議論し、難航の末にやっと「京都プロトコール」にたどりついたのは、わずか4カ月ほど前のことである。ここで先進国はCO2などの温室効果ガスの排出を90年レベルに比して5%以上の削減、日本については6%の削減に合意したばかりである。長年の不況にもかかわらず、日本では現状ですでに90年レベルからガス排出が10%近く増えてしまっているので、12年前後先の約束期限に、今からだと16%ほどの急激な削減をしなければならない。この京都での約束は他ならぬ橋本総理の最終決断でなされたものである。このことは日本のこれまでの「成長」を第一義とする経済政策の転換や経済の中身を大胆に見直す構造的改革なくしては達成不可能な目標であることは、まともに考えれば専門家ならずとも誰でもわかることだ。

ところが、年が変わって今年になると、多くの政治家やマスコミの世界からは、京都会議のことなどすっかり忘れられて、株価の維持や銀行の救済に象徴される景気論議ばかりである。それどころか、子や孫に膨大な借金を残してはならないと昨年にやっと成立させた財政構造改革法も改正すべしと大騒ぎである。ここまでくると世間の健忘症も極まったというより、世紀末のクレイジーな世界に入ってきたと思わざるを得ない。

世の中がいくら健忘症やクレイジーになったとしても、本会に集うわれわれは、このままでゆくと地球環境の悪化は止まらず、日本を含む人類社会はやがて永続し得なくなることを一刻も忘れることはできない。われわれは今のところ微力ではあるが、それでもなすべきこと、なしうることは沢山あると思い、これまでも手探りで活動を続けてきた。平成10年度に入ったこれからも、会員の皆様の支持が続く限り、頑張るつもりである。

本号には二つの特集がある。一つは長いこと本会を応援して下さっている衆議院議員愛知和男さんへのインタビューである。環境派議員がどんなことを考えているか、生の声に耳を傾けていただきたい。もう一つは制度部会が今検討している自販機問題である。5月号もこれを特集する。もう一つ久しぶりに会員アンケートを実施するが、会の発展のためご協力をお願いする。