1998年5月号会報 巻頭言「風」より

「環境」と「経済」をつなごう

加藤 三郎


スライドなどを見ているとき、ピントが合っていないと映像がぼやけてよくわからずイライラする時がある。それが焦点を調節すると先ほどまでのぼやけがウソのようにクッキリ鮮明に像が浮かび出ることがよくある。そのたびに、焦点が合うこと、合わせることの気持ちよさと大切さを思い知らされる。

なんでこんなことを言うかというと、最近私は「あゝ焦点が合ったな」と感じた瞬間があったからである。もしかするとそれは私の錯覚かもしれず、またそうでなくとも自分自身の頭の中でのちょっとした整理にしかすぎないのかもしれないが、その時ピントが合ったなと思えたので、会員の皆様にもお伝えしたくなったからである。

何の話かというと、役所を退いてこの5年ほど取り組んできた私自身の活動のこれからの具体的課題について考えていたときに、それは結局次の二つに対し説得力のある解決策を提示することだと合点したことである。それを改めて整理して言えば、

会員の皆様は、なんだそんなことか、ごく当たり前のことではないかと思われるかもしれないが、その時私は自分がなすべきことについて「やっとピントが合ったな」と思ったのである。

当「考える会」では、主として自分たち自身の社会のあり方を対象に考えているので、上記課題のうち(1)に関連してまず図を見ながら本欄前号の「京都の約束はどこにいった」を思い起こしていただけるとありがたい。

1990年以来、日本はバブルがはじけた状況が続いているにもかかわらず、CO2など温室効果ガスは増えっぱなしである。これは誰が悪いというより、私達一人ひとりの生活の物質的水準がほとんど無意識のうちに資源・エネルギー多消費型になっているからである。特に、車、家庭、オフィス部門での増加が著しい。つまり、経済と環境とは両立どころか少しずつ乖離しているのである。

それにもかかわらず、私たちの社会構造について真剣な検討も、将来世代に対する責任感も欠いたままに、世間は「景気浮揚」の大合唱である。今回の景気浮揚には16兆円余を使うという。新品の一万円札を束ねると1億円は約1m、したがって1兆円は10km、16兆円は160kmの厚さとなる。そんな大金を使って、日本をどうしようとしているのであろうか。

本誌でも繰り返し述べているように、人間が生きていくうえで「経済」は極めて重要である。それと同時にその経済は永続する経済でなければならない。しかし今日の環境破壊の状況(それが地球の温暖化、酸性雨、オゾン層の破壊などの体外環境の悪化であれ、環境ホルモンと言われるような体内環境の機能異状であれ)とともに無制限に膨張する欲望と科学技術との結合、さらに心の荒廃と言われるような社会現象を見ていると、われわれの社会はやがて壁に突き当たり、永続不能になるのではないかと強く懸念される。

その状態を全て回避することはできなくとも、将来に希望を持ち続けられるように、われわれの「経済」の中身を変えていこうではないか。例えば16兆円を使うとしたらどう使ったら未来のために良いのか、皆で考えてみよう。この問題は、6、7月号で集中的に検討する予定であるが、その手始めに本号では、自動販売機問題をもう一度取り上げた。