1998年9月号会報 巻頭言「風」より

ピンチはチャンス

加藤 三郎


「バブル経済」と言われた異常な時代に、むしろ声高にささやかれたのが、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という言葉であった。

この言葉が端的に示しているように、当時の経済行為は、例えば札ビラでほっぺたを叩くようにして土地を違法すれすれで買い取っていく野蛮な「地上げ」という行為。そしてその「地上げ」が倫理的にも商道徳としてもおかしな事をやっていることを承知でそこに投資するノンバンクや銀行などの金融機関。さらには世界の人々が愛している美術品を金にもの言わせて買い漁ってくる。それを美術館などでみんなで鑑賞するのに供するならいざ知らず、転売して儲けようとする。さらに言えば、本来、健康的に楽しむべきスポーツであるゴルフが、金儲けの手段として、会員権が異常な価格でやり取りされる有様であったのは、今も苦々しく思い出される。

これらの当時の行為は明らかに異様・異常であり、倫理や商道徳にもとると当事者はわかっていながら、みんながやっているから、みんなが金儲けしてるから、赤信号であることは知りながらも渡っても平気なんだ、いや渡らなくちゃいけないんだ、そういう時代になったんだと言ってはばからない時があった。大銀行の頭取クラスから末端のサラリーマンに至るまで、みなが倫理をうち忘れて、手段を忘れ異常とも思わず、金儲けに走った、恥ずべき一時期があった。

バブルがはじけて既に八年近くなる今日においても、それがいかに大きなツケを、極めて深い傷跡を残し、底も知れない程の惨状を日本経済のみならず社会にももたらしたかを、私たちは日々思い知らされている。このような苦い経験を経て、やはり人間の行為のなかには、やってはいけないこと、逆に金銭をある程度犠牲にしてもなすべきことがあることに、人々が少しづつ気がついてきていると思われる。それが、自然の美しさや心の豊かさ、宗教とか倫理、そういうものに対する人々の静かな関心を呼び寄せるものになっているかと思われる。

日本だけではないけれども、自由主義経済ないしは市場経済が万能という風潮の中で、腐敗が横行し、その結果として社会の土台は腐り、社会全体の活力を失い、企業も破綻に瀕するということがしばしば起こっている。

日本社会も、戦後50年にして初めて全面的な行き詰まりを迎えつつある。堺屋経済企画庁長官ではないが経済面は「日本列島総不況」の状況だし、社会的政治的にも暗い話題は一杯ある。しかし、こんな時だからこそ「ピンチをチャンスに」変えることも可能な筈だ。

まず私たちの意識・価値観を洗い直してみよう。環境倫理の必要性もこんな時だからこそ素直に理解できるのではないか。経済だって環境対策を織り込むことによって、新しいビジネスや技術が生まれ、伸びる筈だ。あとは一連の改革を強力になしとげるコンダクター(政治家)が必要だが、それも危機の中からやがて出てくるに違いない。

日本の国際貢献ということがよく言われるが、多分最良の貢献は、今ある危機を克服して環境負荷の少ない循環社会をつくってみせることだろう。今の不況も社会面を賑わしている暗い出来事も、そのような循環社会に日本を変えるチャンスとするよう頑張ってゆきたいものである。