1999年1月号会報 巻頭言「風」より

飲料自販機そして車社会

加藤 三郎


激動の1900年代だけでなく、千年紀の最終年である1999年の新春を会員の皆様は如何なる思いで迎えられたでしょうか。

中国の詩人は「国破れて山河あり」と詠いましたが、私には、「国は破れていないのに芯はグニャグニャになり、しかも生命を安心して託す山河も喪くなりつつある」というのが心境です。とは言っても、存外私は「楽天主義者」なのです。

何故なら、昔からそうだったように、私たちが享受している世の姿は激しく変わってゆくに違いありませんが、人間の文化と生活の実相そのものは、この国土の上で子々孫々と続いてゆくと信じているからです。それに親鸞上人がおっしゃるように、「地獄は一定すみかぞかし」と腹をくくってしまえば、何とか人は生きてゆけるのではないかと希望すら感じているからです。

ところで本会の制度部会は昨年ほぼ一年、利便性と環境問題の狭間にある一つの典型例として、飲料自動販売機問題を検討してきました。部会員はわずか十数名ですが、メンバー一人ひとりの英知の結集により、一つの価値ある結論に辿り着きました。モデル条例という形にしてこの1月には自治体の政策担当者と関心のある市民を対象に提言をすることになりました(本号10~11頁参照)。

ここに至る間、本誌でも何度もレポートしたようにメンバーが自主的に、自転車で自宅周辺の自販機の設置や管理の状況を調査したり、国会図書館に出向いて文献や統計にあたったり、また自販機設置者にインタビューしてこの業界の契約関係の実態の一端を直接聞き取ったりもしました。さらに、メンバーのなかで海外への出張や留学の機会があった折りには自販機の実状を見、当局にあたって調査もしました。また自販機に関し何らかの取り組みをしている自治体を訪問し、あるいは廃自販機の処理現場を訪ね歩くなど、すべて夜や休日の貴重な時間を割いてのボランタリーな調査と検討の成果でした。

私は最近このような形の調査や議論の仕方を限りなく面白く、創造的なものと思えるようになりました。制度部会に限らず一般にNGOではメンバー間に上役も下役もなく、それぞれが得意とする分野で知恵を出し合います。最初のうちは問題の焦点が定まらず、議論も空回り気味でまとまらないことが多いのですが、それでも3回、4回と議論しているうちに焦点が合ってきて、目標がクッキリと見えてきます。一度経験したら何物にも替えがたい素晴らしい体験です。本誌でも繰り返し主張しているように、日本の行き詰まりを打破する可能性を有するパワーとして私はNGO活動に期待してきましたが、私自身その確かな手ごたえをようやく感じ始めています。

制度部会は、自販機問題から一旦離れ(フォローは続けます)、次に「車社会」を検討の俎上にあげます。自販機問題よりははるかに拡がりも深みもある問題ですが、じっくり納得のいく検討をしたいと思っています。これまで通り、夜、月1度のペースで都心で会合を持ちます。

「車社会」の何を、どう議論するかから始めます。地方在住や勤務時間の関係で参加しにくい方は、メールやFAXでの参加も可能です。この問題に限りませんが、どうか会員皆様の知恵を日本社会の回天のため、地球環境のため今年は惜しまずお寄せ下さい。