1999年2月号会報 巻頭言「風」より

幸せに近い

加藤 三郎


私はかなり忙しい生活をしている。会員さんにも、「会報を見ていると随分忙しい生活をしていますね。健康に気をつけて下さいよ」と温かい言葉をかけられることが時折ある。本人は若い気でいるので、さほど気にしていないが、私の日程表を振り返ってみると、なるほどかなりなペースだねと多少は反省している。

私がこれまでのところなんとか元気を保ててこれたにはいくつも理由があろうと思うが、疲れを感じた時にふとんの中で聴く音楽は確かに心身の癒しになっていると思う。音楽といっても私の場合、子供の時に父からは浪曲、8才年上の兄からはクラシック音楽という伝統を全く異にする二つの文化を同時に仕込まれたので、60才に手の届くようになった今でも、この二つを基本形にいろいろなタイプの音を楽しんでいる。

この7、8年、好んで聴く歌手の一人に桂銀淑(ケイウンスク)がいる。彼女の数ある持ち歌のなかに「花のように鳥のように」という曲があるが、詞もメロディーもとても素敵だ。サワリの部分で、「花のように鳥のように/晴れの日も風の日も人生/そんなふうに思えたら幸せに近い」と歌う言葉が気に入り、心に沁みる。

「幸せに近い」というと私はすぐに少欲知足という言葉や、井上信一先生(当会の会員でもあり、仏教経済学の提唱者でもある)の「幸せの方程式」を思い出す。

その幸せの方程式は、次式が示すように、極めてシンプルだが、人間の物的面での幸せをズバリと突いており素晴らしい知恵が込められていると私は思い、書物や講演などあちこちで推奨している。

幸せ=財/欲望

この式について井上さんはこう言っている。「分子を大きくすることによって、幸せになろうとするのが欧米式であるとすれば、分母を小さくしようとするのが東洋式、いや仏教式である」、「もし人々が足るを知ったら、消費は落ち込んでたちまち低成長になってしまう、と経済人は色をなすであろう。だが、今や何らかの低成長を覚悟することなしには地球を危機から救うことはできないのである」と。

日本は今、確かに行き詰まり、これまでのやり方ではどうにもならない困難に逢着している。いろいろと努力はしているが、政治、行政、経済、家庭、教育の現場もみな厳しい難問に直面している。なかでも経済については、経済人に限らず人々は「色をなして」景気を上向かせるんだともがいたり、頑張ったりしている。

しかし、確実に進行している地球環境の悪化や生体を内部から蝕む化学物質の侵入のことなどを考えると、もういい加減に国民の多くが「幸せに近い」感覚を共有し、それに沿った政策の実施を求めていかないと本当に手遅れになってしまうのではないだろうか。まさか、地球を見捨てて火星への脱出などをまともに指導者が考えるようになったら、それこそ「終わり」だと私は思うからである。