1999年6月号会報 巻頭言「風」より

公共事業を「整然たる破壊」としないために(1)

加藤 三郎


自民党の総裁選が近づいてきたせいかどうか知らぬが、恒例の如きなってきた補正予算の議論がまたぞろ出てきている。それは「平成11年度予算でつぎ込んだ公共事業費がもう夏口から枯渇する。そうなると日本の経済は火が消えたようになり、失業も増える。だから財政出動、つまり税金を使い赤字国債を使っても公共事業などの内需喚起により景気を盛り立てるべきだ。これはアメリカからの要請でもある」という種類の議論である。今回のは「雇用」に力が入っているが、中身はたいして違わない。こんな議論を聞いていると、麻薬中毒患者が、ヤク切れになった、またヤクを打ってもらわねばと言っているのと大差がないように私には聞こえる。公共事業も落ちたもんだ、この程度のものとしか考えられないとはと、若い日に土木工学を学んだ者の一人として、情けなく思う。

本来、公共事業というのは、長期的な視野に立ち、今生きている国民のためだけでなく、むしろ次に来る国民、つまり子々孫々のための事業をたとえ現在の不便や苦痛を忍んでも歯を食いしばってもやるものだ。日本の土木史の中にそういった好事例はいくらもある。例えば、弘法大師に指導されて修築された満濃池などの貯水池は未だに生きている。木曽川、長良川などの三川分離の難行事や輪中建設など数百年たってなお今も子機能している。青の洞門として知られるトンネル工事や、琵琶湖疎水路の建設や信濃川の関川分水などもすぐに思い浮かぶ例だ。本来、公共事業というものはそうあるべきものだ。一内閣の景気浮揚の道具としてどうこうされるべきものではないというのが、少なくとも土木工学を学んだ私の矜持だ。

こういうことを考えるたびに、思い出す一つのエピソードがある。それは今を去ること22年以上も前の昭和52年2月、参議院予算委員会において、建設事務次官出身で参議院議員の坂野重信さんと石原慎太郎環境庁長官との間の公共事業を巡る質疑である。どういう場面で出てきたかというと、当時環境庁が環境アセスメント法を導入しようとしていたことを背景に起こった短いが鋭い問答である。

まず坂野さんが次のような問いを石原長官に発した。要点を再現してみると、①公共事業は、そのほとんどが生活環境整備であり、新しい環境の創造である、②それにもかかわらず進行中や途中段階だけを見て、公共事業が即公害と批判されるが、これは公共事業の性格なり役割を誤解したものである、③自然保護も大切だが、人間の新しいニーズに対応した新しい環境づくりも大切、④石原長官の所見如何というものである。

これに対して、石原長官は大略次のように答えた。①役所が決める大衆のニーズと国民大衆が本当に欲しているニーズとは昨今いささか異なる、②健康を中心とする環境保全と公共事業が目的とする環境整備とは本来二律背反するものではないが、現実は明らかに二律背反の事例が多い、③例えば、阪神間を貫通する国道43号線沿道の黙示録的な公害の現状。また、逗子、葉山あたりの立派なハイウェイや海岸の横につくった下水処理場。これにより由緒ある史跡が埋まり、地質学上大切な地域がコンクリートの下に埋もれた、④これは「整然たる破壊」だ、⑤過ちは繰り返すべきでなく、私はそういう意味で公共事業と環境問題を考えている、という主旨のものである。

この問答を同僚から聞いて以来、「整然たる破壊」という言葉は私にとってはかなり重い問題提起として今日までずっと忘れ得ないでいる。丁度、牛が飼を反芻するように、私も繰り返し頭の中で反芻してきた。石原慎太郎さんが思いつきで「整然たる破壊」と言ったのではないことはその後の石原さんのいろいろな発言に照らして明らかである。例えば、環境庁が平成3年(1991年)7月に編纂した『環境庁20年史』に石原さんは、同様の見解を次のように展開しておられる。

「空も海も地上のどこもかしこも、建設という名の破壊、あるいは破壊そのものが進行し、それに伴う汚染は拡散拡大している。・・・(中略)日本は技術的にも現実の状況でも公害防止対策は世界をリードしているといえるが、またその一方、驚くほど無神経な国土の破壊を平気で行ってもいる。石垣島の白保の珊瑚礁を埋め立てて空港を作るなどという野蛮なプロジェクトを、世界一の公害防止技術を開発している同じ日本人が考えるということは理解しにくいことだがしかし現実であって、その他この他日本の国土は刻一刻経済に関する合理主義の魔手によってとり戻せぬものになりつつある」と。

本会の会員の中には「整然たる破壊」とか「建設という名の破壊」という見方に対しては大いに反発される方もいらっしゃるに違いない。現に、戦後なされた公共事業のなかには後世に対しても誇るべきものをあげることは、さほど難しくはなかろう。しかし私は、石原発言に代表される厳しい批判に対する反発も、あるいは肯定も含めて、戦後50年の公共事業が国民及び日本の国土に何をなしたかという冷静な検証ぬきに、21世紀の公共事業のあり方、予算の使い方などを展望することはできないと考えている。公共事業が、単に景気浮揚の道具としてまた財政発動という名の安易な経済政策として扱ってはならないと思うからである。

しからば、公共事業が本来の役割を回復するためには何が必要か、私の考えを次号で述べてみたい。