2020年12月号会報 巻頭言「風」より

新時代のための教育改革を

藤村 コノヱ


今年は7月上旬に九州で記録的な豪雨が発生し、球磨川など大河川が氾濫。その後この豪雨は東日本や東北地方の広い範囲にも影響を及ぼしましたが、この一年は例年よりは日本を襲う台風の回数も少なく気象災害の少ない年でした。しかし、新型コロナの感染拡大という思いもよらぬ危機に見舞われ、日本のみならず世界中に大きな不安が広がる一年でした。そうした中にあって、私たちはこの先、気候危機や感染症の危機などを前提とし、これまでの暮らし方や働き方、社会や政治や経済の有り様など、これまで当たり前と思ってきたことの見直しを迫られた一年でもありました。

見直すべき点は多々あり、人それぞれに優先事項も改善の程度も異なるでしょうが、私はやはり、社会、経済、政治、技術など全てを動かす、いわば全ての基盤である「人」を育てる教育や学びについて、今のままでいいのだろうかと考えています。以前から、気候変動など社会的課題に関心を持たない日本人が多いことや日本に市民社会が育たないのは、哲学や市民教育、政治教育に不熱心な日本の学校教育にも原因があるのではないか?「今だけ、金だけ、自分だけ」というような短絡的な人間が増え、人間の質の低下が見られるようになったのも教育に問題があるのではないか?と考えてきました。さらにコロナ禍で、安倍前総理の一言で全国の学校が休校になり、オンライン授業で教育格差が露呈し、学術会議が政治問題になるといった昨今の状況を見ていると、長期的視野が必要な教育・学問が、短期的視野でしか動かなくなっている政治や経済に翻弄されていいのか? これからの新しい社会づくりに向けて「人」を作る教育や学びこそを、根本的に見直す必要があるのでは、と思うようになりました。

当会では以前に三井物産環境基金の支援を受けて、日本の持続性の知恵について検討し、『環境の思想』(2010年)を出版。その中で私は、江戸時代から現在に至る学び・教育について整理しました。そして、江戸時代までの幕藩体制下では、寺子屋、藩校、私塾、地域社会、商家など様々な場で培われてきた共同体意識や、儒教や仏教的思想に基づく「道徳」と「読み書きそろばん」に代表される実用教育に重きを置いた教育が行われ、各々の場で「人」として生きていく上で必要なことが授けられていたことを再認識しました。しかし明治維新以降の教育は、形式的には欧米型教育システムを導入したものの、精神的な部分では「国」に忠誠を尽くす従来の「集団の存続」を重視する考えを継続。教育の目的は、明治政府が富国強兵と殖産興業を掲げて以降、若干の紆余曲折はあったものの、一貫して国家が管理し国を富ませる「人」という「材」を生み出すことではなかったかと思うようになりました。

こうした管理型の日本の教育が、礼儀正しくルールを守る日本人と安全な国を作り、争いよりも調和や平穏を大切にする日本人を生み出したのは事実でしょう。その反面、曖昧で自分を表に出さない、誰かが何かをしてくれるという主体性の欠如、集団行動を重視するなどの傾向も見られます。特に社会的課題について、公的な場面では自分の意見を言わない・行動しない人たちを見ていると、これでは何も変わらないと感じることもあります。

確かに、これまではそれで何とか凌げたのかもしれません。しかし、気候変動や感染症なども含め、不確実性が高まるこれからの時代に向けては、それでは到底成り行かない気がします。日本人の長所は活かしつつ、主体性のなさなどの短所を克服し、自らが学び考え判断し行動する「人財」を育てることが、個々の幸せにも、社会にとっても不可欠ではないでしょうか。そのためには、今の教育のシステムや内容を見直す時期に来ていると思うのです。

例えば、世界幸福度ランキング3年連続トップで、教育分野でも高い評価を受けるフィンランドの学校教育では、修了年限や時間割に柔軟性があり、全国カリキュラムはあるものの(大学院で専門的に訓練された)教師の裁量権が大きいなど、管理型でない教育が一定の成果を挙げています。義務教育の1クラスは20~30名程度、読書量が多いのも特徴です。この背景には、資源の乏しいフィンランドでは「人」を第一の財産とした教育改革が行われ、授業料や給食は無料、国家や自治体の予算の約1割を教育に充てているそうです。 一方日本は、教科書も検定され指導要領に従った指導が求められ教師の裁量権は限定的。義務教育の1クラス人数は標準40人。また教育機関への公的支出割合は、OECD加盟国34カ国中最下位(フィンランド5.6%、日本2.9%)。9月に発表されたユニセフ「レポートカード16」では、日本の「子どもの幸福度」は、身体的健康1位、学力・社会的スキル27位でしたが、精神的幸福度はなんと37位と下から2番目でした。(これには周りの大人の働き方や経済状況も大きく影響しています。)

国の大きさや歴史、社会の状況なども異なり単純な比較はできませんが、少なくとも、今の日本では教育の価値が低く置かれ、次世代を担う子どもたちもあまりHappyではないようです。


現行の教育基本法では、教育の目的は、個としての人格の完成と、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成です。そして本来の教育・学びは、学校だけでなく、家庭、地域、職場でも行われ、成長に合わせ各々の時期に各々の場所で行われるべきものだと思います。しかし現状では、親や大人は忙しく、教育は学校任せ、その学校は文科省管理のもとで行われ、教師も忙しさに追われる状況。大学教育も「たこつぼ化」し、職場での教育も昔ほどにはなく、人格の完成も社会の一員としての育成も中途半端です。こうした状況から、現在大学入試や学習指導要領の改革も進められていますが、一般の関心は低く、このままではよい変化は望めない気がします。

コロナ感染拡大により今年の年末年始はいつもと違うものになります。是非、持続可能な社会の基盤となる「人」をどう育てていくか、そんな本質的なことも考えてみてほしいと思います。よい新年をお迎え下さい。