2024年4月号会報 巻頭言「風」より

あちらを立てれば、こちらが立たぬ

田崎 智宏


あちらを立てれば、こちらが立たぬ。兎角この世は難しい。なんのことか、環境問題のことである。

このところ、企業の環境面の取組についての情報開示が金融部門から強く求められている。要は、環境問題にきちんと対応していないと投資対象としてリスクがあり、それを判断するための情報が必要となる。この動きは大手企業を中心に世界的に加速している。そんな中、企業の担当者も情報公開を進めようとするのだが、いろいろな「あちらを立てれば、こちらが立たぬ」状況に悩まされてしまうのである。

いくつかの例を紹介しよう。企業の方々と関連する議論をする中で実際に出てきた事例である。

まず、車のタイヤである。タイヤのゴムは、運転すれば摩耗する部分とタイヤの構造を支える部分に大別できる。摩耗する部分がなくなるまでにタイヤは交換しなければならないが、このことは、交換の度に構造部分が交換されることを意味する。交換頻度が少ない方が、タイヤ交換時のゴムの資源投入量が少なくて済むので、タイヤ全体の摩耗部分の割合を大きくするのは一つの対策になる。しかしながら、そうするとタイヤ全体が重くなり、走行距離あたりの燃料消費が増えてしまう。つまり、資源とエネルギーのトレードオフが生じてしまう。

次に、ご承知のとおり、住宅や建物の断熱性能や気密性能は高い方がエネルギー消費量を小さくできる。しかしながら建設のコストが高くなり、環境面と費用面でのトレードオフが生じてしまう。加えて、冷暖房のエネルギー価格をもとに使用時のコストを考えに入れようとしても、例えば20年経つまでに余計にかかった建設費用の元がとれるとしても、ローンなどで資金を調達できなければ、安くて環境に悪い建設物を選ばざるを得ない。適切な政策介入がなければ、人々の判断は、上記のトレードオフで環境に悪いところで収まりがちになってしまう。

三つ目は、脱プラスチックを目指し、肉や野菜に用いられている発泡トレーを他の包装に変えていこうというノントレーの取組である。カップラーメンなどの発泡容器を紙に替える取組もある。発泡トレーは発泡させるのにひと手間かかるので重量1kgあたりの温室効果ガスの排出量は他のプラスチックなどに比べて多めだが、素材の利用重量は少なくて済む。実は発泡トレー等の代替品の方がより多くの素材を使ってしまうこともあり、よくよく計算してみると、温室効果ガスの排出量が増えてしまうことがある。つまり、素材代替とリデュースとでトレードオフが生じてしまうのである。プラスチックだけを絶対悪のように見立てて、代替品の環境性能を考えないことには問題が多い。ちなみに、この際に用いられる紙の多くが防水紙等でリサイクルには不適(例えばビールの6缶パックなどに使われている紙もリサイクルに不適)なので、素材代替とリサイクルとの間でもトレードオフが生じてしまう。

このようにいくつかの事例を見ただけでも、環境問題をワンイシュー化して一つだけの側面をみてしまうことには十分注意が必要であることが分かる。

いやいや、「あちらを立てれば、こちらが立たぬ」ということは重々承知している、と言われる方がいるかもしれない。つまり、「これは大切」とある一面を強調した方が多くの人々に分かりやすく、インパクトを出しやすい。言い換えれば、予算や補助金などを獲得しやすいし、結果も評価されやすい。「『あちらを立てれば、こちらが立たぬ』なんてことには目をつぶった方が取組をうまく進められるのだ」ということだとすると、どうだろうか。

現在の水素社会推進法案においても、「脱炭素」という面、つまり炭素から水素へのシフトということが強調され、化石燃料由来のグレー水素などが入り込む余地があることから、十分な注意と丁寧な議論が必要な状況である。単純化した観点で物事を進めてしまう場合にこそ十分なチェックが必要であり、それができる社会こそが成熟した社会の姿なのだろうと思う。

視点は変わるが、実は「あちらを立てれば、こちらが立たぬ」が論点ではなく人と人との関係で起きてしまうこともある。典型例は太陽光パネルである。グローバルな観点からすれば、気候変動対策としても再生可能エネルギーの普及という点でも、太陽光エネルギーのポテンシャルが高い地点に太陽光パネルを設置することはまさしくやるべきことであり必要なことである。しかしながら、気候変動対策の必要性についてあまり認識をしていないような地域の人々にとってはどうか。見慣れぬパネルの姿・形で地域の景観を乱し、場合によっては森林を伐採し、少し前には、崩落するような場所に太陽光パネルが設置されていたニュースもされていた。しかも、太陽光パネルの設置者は「よそ者」で、なにやらうまいこと儲けているらしい。そんなことを聞いたら太陽光パネルの設置に反対したくなってしまうのも無理はない。

ここで生じているのは、人どうしで着目している点に大きなずれがあるということだ。専門的には、物事を捉える枠(フレーム)が違うことから「フレーミングの問題」と呼ばれる現象である。このような場合、食い違っているフレームをより大きなフレームで捉えなおしたうえで「あちらを立てれば、こちらが立たぬ」ことの議論と調整をすることが必要になる。懐の広い態度で議論をしていくことが求められる。

「あちらを立てれば、こちらが立たぬ」に向き合い考え尽くすことが、環境文明には大切なことなのではないかと改めて感じているところである。