2024年9月号会報 巻頭言「風」より
日本らしい市民力を育むために
藤村コノヱ
予想していたこととは言え、今年の夏は本当に暑く、40℃越えの猛暑や突然の豪雨など気候危機に伴う被害は国内だけでなく世界中から報じられています。一方、日本では自民党総裁選や立憲の代表選が連日報道されていますが、日本も含め世界の多くの国で、政治への信頼は失われ社会の不安定さはますます増し、気候危機を止める取組も社会の安定化のための政策も遅れがちです。昨年から続くウクライナやガザの人道を無視した悲惨な戦争もいまだ終わりが見えてきません。そんなことを考えると、日本も世界も決していい方向には向かっていないように思えるのは私だけではないように思います。
その原因は色々考えられますが、少なくとも、私たち市民の地域・社会や政治への無関心や短期的・利己的な考え方が民主主義を弱らせ、人類共通の課題である気候危機への取組も遅らせていることは間違いないように思います。そしてその根底には、多くの人が、目先のことに追われ、本質的なこと、中長期的なことは考えられなくなっている現状があるように思えます。
環境教育をバックグラウンドにする私は、持続可能な社会に向けた環境教育の目的は、学んだことを一人ひとりが力に変え、自らの暮らしはもとより、地域や社会にも目を向け、おかしいと思うことには声を上げ、様々な活動に(支援も含めて)参加したり、政策作りにも参加するなど、社会の一員として、地域や社会でその力(市民力)を役立てることだと考えてきました。そのためには、幅広い視点からの環境教育が大切で、今年の市民版環境白書「グリーン・ウォッチ」にも「持続可能な社会に向けた環境教育を市民社会の活性化につなげるために」と題した論考を掲載しました。
しかし、学校での環境教育は時間数が大幅に削減され、知識の伝達に留まることが多く、市民社会について学び議論する機会はほとんどないようです。また東京都知事選での環境問題への関心の低さや、前回より多少UPしたとはいえ約60%の投票率が示すように、環境問題を含めた社会的課題への関心は低く、仮に関心はあっても改善に向けた行動には至っていないのが実態です。
「風」の執筆者のお一人である杉浦淳吉氏も執筆に関わった『環境行動の社会心理学』(北大路書房)では、社会運動の動機づけとして、「不満」「変革志向性」「集合性」をあげています。確かに、当会のこれまでの活動の多く、そして現在当会が呼び掛けている「今こそ、まっとうな日本の気候政策を創ろう」キャンペーンは、“今のような政策では、気候危機は止められず、暮らしも社会経済活動も成り立たなくなる。何とかしなければ”という、現状への「不満」「危機感」が根底にあり、変えるために皆が集結して社会にインパクトを与えたいとの思いからです。
欧米と比べてデモなどが少ない日本ですが、公害時代には、日本でも地域住民の強い怒りと抗議行動が行政や企業そして国を動かした歴史があります。学生運動もありました。しかし現在の気候危機に対しては、そうした盛り上がりはほとんど見られません。特定の地域・発生源だった公害とは異なり、全ての人が加害者であり被害者である点、影響は世界及び将来世代に続く点など気候問題の特性を考えれば、社会運動の動機である不満や社会変革などに加えて、別のモチベーションが必要なのかもしれません。
例えば、地域でボランティア活動やNPO/NGO活動を行うのは、地域をより良くしたいという善意や共益への思い、活動を通しての仲間づくりや共感を得たいという思い、学びなど個人的な満足が動機になる場合もあるでしょう。山歩きや釣りといった趣味から環境問題に関心を持つようになった人は、危機感だけでなく、楽しむというポジティブな心持ちが行動を促しています。また例えば、自然とは対峙ではなく折り合いを付けてという共存共生の精神、人とも争うのではなく合意点を見つけうまくやっていこうとする調和の精神、近江商人の「売り手良し買い手良し世間良し」の三方良し(これに次世代も加え四方良し)の精神など、欧米とは異なる日本独特の精神性、倫理観もありそうです。
長年、単独の環境問題に焦点を当てるのではなく、「現在の環境問題は文明の問題」として、それらの根底にある価値観、倫理、制度などを探求してきた当会。気候危機なども科学や技術だけでは解決できなくなった昨今、当会の独自性を生かし、科学的な観点だけでなく、上記のような人間的、倫理的観点、特に一昨年「脱炭素時代の覚悟と責任」として取りまとめた、①有限の認識、②抑制する知恵、③循環の工夫、④共存する喜び、⑤利他の心、⑥公正の確保(当会HP掲載)という知恵も加え、各々の属性やモチベーションも考慮した情報提供や広報活動を、もっと工夫し強化していく必要があるように思います。そしてそれらも考慮した活動の展開が、本年7月号エッセイで佐渡の十文字さんが書いたような、日本に相応しい市民力の再生のきっかけになるのかもしれません。