2024年10月号会報 巻頭言「風」より

「暑い夏だった。」それは結果?事実?それとも始まり?

田崎 智宏


夏が終わりに近づいたかと思っていると、セミの鳴き声が鈴虫の声に変わり、やがてそれらは過去の記憶になっていく。夏はいつもあっという間に過ぎていく。

それにしても、暑い夏だった。夏に真昼に外に出れば、陽射しは容赦なく身体に刺さってくる。夕方までは家から出たくない、なんて本気で思ってしまうようになっている自分がいる。夜になれば暑さが落ち着きを取り戻してくれる地域もあるが、都市部はなかなかほとぼりを冷ましてくれない。コンクリートに蓄えられた熱がいつまでも放射熱を発し続けている。欧州では、エアコンが設置されたホテルがだいぶ増えてきたそうだ。

土砂降りの豪雨や暴風には、「またか」という感覚になってしまってきている。そのなかで、能登の方々は本当に気の毒でいたたまれない。立ち上がろうとしたところに、もう一撃が加わった。

非情な異常気象には、なんとなく運だめしをされているような気もする。身の回りで帰宅時間、移動の時間がちょっと違っていれば巻き込まれなかったはず、今週でなく先週であれば、晴れの旅行や帰省を堪能できたのに、というように。自分は今回は運が良かった、あるいは悪かった、と考えてしまうのも無理はない。

そういえば、夏から秋への移り変わり方も変わってきた気がする。涼しくなったと思ったら、また真夏に戻る。往ったり来たりする優柔な季節は、行き先がよくわからなくなっている社会そのものを表しているかもしれない。国内の政党内選挙もあれば、台湾、韓国、インド、ロシア、英国、フランスなど、世界各国での選挙もあった。米国の大統領選挙はこれからだ。

社会の行き先・ゴールはわかっている。シンプルだ。世界平均気温が2℃も3℃も上がることのない、持続可能な社会。

しかし、それでも各国は風見鶏のようになっているようだ。ちょっとした風が吹けば平気で向きを変える。環境文明へのチャンスも増えるかもしれないが、東日本大震災などの経験を遠い過去の記憶としている方々が環境文明に逆行することを平気で仕掛けてくる。しかも突然に(非民主的に)。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない。」と断定するに至ったのは2021年。「暑い夏」は事実であり、私たちの現代的な生活や産業の活動が引き起こしてきた人為的行為の結果である。

そう。私たちがしてきたことの結果である。自分はエコな生活をしていると自負する方も読者のなかにはいるだろう。もちろん、そういった人はそうでない人よりも将来に対する責任を果たしているといえるだろう。それでも、孫の世代からすれば、「もう少しなんとかできなかったの?」と言われてしまってもおかしくない。

先ほど、「運だめし」ということを述べたが、私たちの世代はまだ運だめしゲームでいられそうだ。たとえとして、サイコロを振ってイチがでたら、その年、気候変動による被害を受ける仮想的な状況を思い浮かべてみよう。昔のサイコロは6つの面のうち1つの面がイチであった。当然ながら。2024年の現在は、2つの面がイチになっているようなものである。つまり、被害の確率は昔よりも確実に高まっている。やがて、3つの面がイチとなり、果ては6つの面がイチに・・・。もはや運だめしではない。誰もサイコロは振りたがらないだろう。

しかし、実はそのようなことを、人類は地球温暖化でやっているようなものではないか。私たちが地球上に住む以上、このようなゲームから抜け出すことはできない。また、次の世代やその次の世代はこのゲームに参加することを強いられている。

「暑い夏」は運だめしゲームのようなものではないはずだ。今年、被害がでなかったからといって他人事でいてはいけないはずである。小学生に聞いてみてもよい。そんなゲームがあってよいのかと。

私たちは、運だめしゲームそのものを変えていかなければならない。そこで、巻頭言のタイトルに戻る。「暑い夏だった」は、よそから与えられたようなものとして受け止めがちであるが、私たちはそれを「始まり」にできるのではないか。

先月、2024年9月22~23日には、国連は「未来サミット」を開催した。背景には国連が75周年を迎えた2020年を契機に、未来のことを本気で考え始めたことがある。世界に山積している課題を乗り越えるためには、国連の体制を考え直すべき状況にもきていた。

未来サミットでは「未来のための協定」や「将来世代に関する宣言」が採択された(以下、「未来協定」と「将来世代宣言」という)。未来協定の前文においては、世界的に課題が山積しており、私たちが舵を切らなければならないことを述べている。また、そのためには、完全で、安全かつ平等、そして意味のある参加が不可欠とも述べられている。NPOを含む多くの市民の声が届けられなければならない。将来世代宣言では、将来世代とは若者や子供の他、まだ生まれてきていない世代を含むとしている点も新しい。また、若者や子供を護るべき存在としてだけではなく、変化の担い手だとみなしていることも興味深い点である。

国連は、課題山積するなか、次なる時代への取組を始めている。「暑い夏だった。」を契機に私たちが「始まり」にできるかどうか。最後に未来協定から一文を引用しよう。“The choice is ours.”(選択は我々にゆだねられている。)