1996年9月号会報 巻頭言「風」より

環境対策オリンピックでは?

加藤 三郎


この夏の前半は、アトランタ・オリンピックの話題で持ちきりだった。普段はスポーツ放送に関心を持たない私でも、4年に一度の、しかも、なんだかんだ言っても、国の威信がかかったスポーツの祭典とあっては、テレビの前で一喜一憂する時間が多かった。有森裕子さんの素晴らしい笑顔、悔しさを隠しきれないながらも明るくさっぱりしていたヤワラちゃん、男子の野球やサッカーの大健闘など素晴らしいドラマはいくつもあったが、全体的には日本選手団の成績は物足りないものであった。

日本の金メダル3、銀6、銅5の成績は、アメリカの金44、銀32、銅25は別格としても、ドイツ、フランス、中国、韓国などにもはるかに及ばず、今回も世界のトップクラスに大きく水をあけられた23位にとどまった(メダル総計でも21位)。

この期待はずれの結果に対し、選手や役員への批判や非難、参加が大切でメダルにこだわるのは邪道とする意見、さらには、これが日本の実力を正しく反映しているのではないかとのクールな反応などアトランタ後もしばらくはやかましかった。

ところで私は、オリンピック競技の厳しい試合ぶりを見ていると、もし仮に“環境対策オリンピック”なるものがあるとしたら、わが日本チームは、いかなる成績をおさめ得るだろうかなどと想ってしまう。私の考えでは、この「環境対策競技」は団体(ナショナル・チーム)と個人・NGOグループとに分かれて競われる。

種目は、(1)理念とライフスタイル、(2)制度とその運用、そして(3)技術とその効果の三種目。すなわちこの4年間に(1)どのような理念・目標を樹立、あるいは提案し、それが国民のライフスタイルにどう反映しているか、(2)環境保全のための如何なる制度を確立し、または提案し、それがどの程度実施され、効果をあげているか、そして最後に(3)環境保全に役立ついかに優れた技術がこの4年の間に開発され、それがどの程度役だっているのかが、団体戦と個人・NGO戦で競われる。

さて、このような環境対策オリンピックの舞台でのわが日本チームの成績は如何ということになるが、どうも残念ながら今回のアトランタでの日本選手団と大差がないような気がしてならない。まず(1)理念・ライフスタイルの部では、世界をリードする高邁な思想・理念なく、それを育てる力も弱く、他国民に誇れるライフスタイルは未だ確立していないので、8位以内の入賞がやっとといったところか、(2)制度・運用については、70年代に官民ともに必死の公害対策を行い、総量規制、公害防止協定など金メダルクラスの大健闘をしたが、それも今は昔。すべての主要国が法制化した環境アセスメントすら未だ法制化できない日本は、かつての大活躍がうそのようなメダルゼロの体操チームのようなものか。(3)の技術だけは、公害防止にソーラー、電気自動車、合併処理浄化槽などいくつかの分野ではメダルにとどくものがあるのが唯一の救いと見るのはやや酷だろうか。