2002年1月号会報 巻頭言「風」より

先見性、戦略性を持って新時代を切り拓こう

加藤 三郎


1993年10月に、「座して待つか、働きかけるか」を旗印に本誌第1号を発刊して以来、毎月欠かすことなく、第100号を迎えることが出来ました。会報の発行を支えてくださった、すべての会員・関係者に心より感謝を申し上げます。特に、会報の基礎を作ってくださった鈴木猛先生と、担当した古谷野加代さんにはとても感謝をしています。おそらく、お二人ともあの世で「ほう、100号を迎えたかね」と、ニコニコ笑って見てくださるのではと思います。ご覧のように本誌の色を変えてみました。いかがでしょうか。読者からは「紙の色を変えたって中身が変わらなくちゃ駄目ではないか」とまたお叱りを受けるかもしれません。しかし、一つの節目を通り越した私達スタッフ一同の安堵と新たな決意がこの色に表れている、と見ていただけると幸いです。

ところで、昨年は内外ともに激動と不安の1年であったと思います。日本について言えば、イチロー選手の大活躍や野依教授のノーベル賞受賞など、とても嬉しいニュースもありましたが、全体を見回すと不安で暗い一年であった気がします。4月の末に、「聖域なき構造改革」を掲げて小泉さんが首相となり、改革を断行すると言って走り回っていますが、改革よりも先に企業の倒産は重なり、株価は大幅に下落し、失業率はかつてない高さに達し、まだまだ増える勢いです。先日、ある私立大学の先生に伺いましたところ、「学生の多くはフリーターしか職がない。たまに運がいい人は公務員や会社員に就職しているが、それすらいつまで続くかわからない」という状況。凶悪犯罪も増加し、未検挙率が大幅にアップして、犯人逮捕は2割程度、とのニュースがつい最近ありました。

80年代の日本は、Japan as NO.1と言われ、日本のビジネスマンは、肩で風を切る勢いでありました。しかし、ズルズルと落ち込んで、今や日本は二流国とささやかれるほどです。一体、この時代の苦しみをどのように考えたらよいのでしょうか。

その一つに、バブル経済時代からまともな経済時代に移り変わる調整期の苦しみだという考え方があります。しかし、私自身は、もう少し長期的な調整の時期を迎えているのだと思っております。それは、20世紀型の生産・消費、またそれを支える人々の価値観が環境の有限性に阻まれ、変革を余儀なくされている苦しみだと見ております。

具体的に言えば、今から約10年前までは、大きいこと、成長することはいいことだ、消費は美徳だと囃したてられておりました。このような考えにたって政治や教育が行われ、家庭のなかでの躾も行われました。ほんの半世紀ほど前まではごく当り前であった、“質素倹約”や“忍耐克己”などの徳目は冷笑され、棚上げされたままです。幅を利かせたのは、金を儲けることであり、経済効率でした。このような価値観は何も日本だけでなく、ほとんどすべての国でそうなってしまいました。私自身は、日本など多くの国が直面している、激しい摩擦や苦痛は、21世紀の新しい産業の在り方や国民の新しい価値観・ライフスタイルを作り出すための産みの苦しみだと思っています。

日本の歴史を振り返って、例えば、封建的な幕藩体制が明治時代の文明開化の世の中に変わったように、また、明治憲法下での富国強兵体制が民主憲法での新しい体制に変わった時のように、私達も偏見を持たず、恐れることなく新しい時代を創ればよいのだと思っています。然らば、その新しい時代とはどんな時代でしょうか。概ね次のようなものとなると考えます。

まず、国民の意識・価値観やライフスタイルの基礎を成すものは、循環・共存・抑制の3つの理念だと思っております。有限な地球のなかで、60億人を越える人類社会がまがりなりにも生き抜いていくためには、一本槍の経済成長はもはやありえません。物を繰り返し繰り返し使用し、エネルギーは節約し、そして、再生可能な新しいエネルギー源を見出していくしかありません。人間だけの利便性や快適性のために動物や植物の生存を抹殺したとすれば、それはすぐに私達人間の生存に跳ね返ってくることになりましょう。抑制、これは私にとっても難しい理念ではありますが、これ抜きに21世紀を切り抜けていけるとは到底思えません。バランスのとれたほどほどの生き方をしていくしかないのではと思っております。

新時代の経済について言えば、環境と経済の調和以外にはあり得ません。環境と経済が調和するとはどういうことでしょうか。抽象的に言えば、経済のために良かれと思ってする政策が、すなわちそのまま環境対策にもなり、環境のために良かれと思ってする政策が、そのまま経済対策にもなることです。そんなことが可能か、と皆さまはお思いになるかもしれませんが、政策の宜しきを得れば可能だと確信し、私にはその姿が確かに見えます。ごくわかりやすい例で言えば、温暖化対策のために風力発電をしたとします。これは環境対策でありますが、風力発電を本格的かつ大規模にやろうとすれば新しい技術、新しい雇用、新しいビジネスを生み出し、これは経済対策にもなります。もう一つの例を挙げると、やはり温暖化対策のために植林したり育林、つまり、間伐や下草刈りをしたとします。それは同時にその間伐材を使ってバイオマスエネルギーをとり、新しい雇用をもたらし、里山地域の活性化にもつながる経済対策ともなり得るのです。21世紀には、経済のために環境を無視する、逆に環境のために経済を無視するような対策をとる余裕はもはやありません。2つを同時に満たす政策を、知恵を出して創り出し追求していく、そしてそれを実施していく以外にありません。

政治についても今までのように国民がプロの政治家や官僚にだけ任せ、自らは参加もしない、といった態度を取りつづけていてはもはや政治の刷新もあり得ません。昨年の秋、私達のオフィスがある川崎市で市長選挙がありました。市長選挙の投票率はわずか36.8%。新市長は、120万市民の川崎で、わずか13万票足らずで選ばれました。6割以上の人が選挙に行く努力すらしない、そのような怠慢な時代が続く限り、日本の政治がよくなる筈もなく、政治が良くならなければ、経済も文化もよくなるはずがありません。

8年半ほど前にこの会はNGOとして発足しました。しかし、今から考えると、社会におけるNGOの重要性を、当時私は十分に認識していなかったような気がします。毎年のように私達はヨーロッパやアメリカなどのNGOを訪ね、彼らの力の源泉を探って、少しでも自分達に役立てようと調査をしております。そして調査をする度に、NGO/NPOは大切な公益を担っているという思いを深めています。公益は何も役所や特殊法人、公益法人といわれるものだけが持つものではありません。これらは日本独特の縦割り制度で相互に分断されており、公益といえども、現状では省益に過ぎない、と言っても過言ではないほどです。然らば、一体誰が国民のことを無私の立場で、しかも長期的・戦略的視点で考えられるのでしょうか。一昔前ならば、それは優秀な官僚の仕事と多くの人が考えたでしょうが、もはや期待できません。だとすれば、当分私達が頑張るしかないと思います。そして、今年もそのつもりで頑張ります。どうぞご支援のほどをよろしくお願い致します。