2002年4月号会報 巻頭言「風」より

本当の豊かさが得られる循環社会に

藤村 コノヱ


桜が例年になく早く開花した。桜の名所では相変わらずの酒宴が盛んだが、会員の皆様の多くが、これを喜びと感じるより、むしろ危機の前兆と感じておられるのではなかろうか。実際、南極の氷が大量に溶け出していることや二酸化炭素濃度が過去最高に達していることが確認され、温暖化が益々深刻化していることを痛感させられる。一方、社会に目を転じてみれば、国会の混乱、不況、そして様々な凶悪事件も跡を絶たず、「本当に暗い」というのが実感である。日本は一体どうなるのだろうか?環境に関心のない人でも、そんな思いを多くの人が持っているのではなかろうか。

そうした中、私たちは持続可能な循環社会こそが21世紀の目指すべき社会だという信念のもと、ここ2~3年は、住友財団や日米交流センターから助成金を頂き、その骨格作りを進めてきたが、議論の過程で、私が終始一貫して主張してきたことは、真の循環社会とは、単に環境面での取り組みが進んでいたり、経済と環境が調和しているだけでなく、人間が人間らしく生きられる社会でなければならないということだった。もともと教育学部出身で、環境よりむしろ人間や社会に危機感を抱いて当会の活動に関わってきた私にとって、昨今の人間社会の崩壊は環境の悪化以上に深刻に思える。そのため、どんなに環境が良くなっても、どんなに経済的に豊かになっても、そこに暮らす人間が幸せであり、その集合体である社会そのものが持続的でなければならないという思いは強い。循環社会を単に環境(この場合の環境はごく狭い意味での環境であるが)や物質循環だけで語るのではなく、もっと人間・社会の視点から、私たちの目指すべき社会像として考えていきたい、というのが私の一貫した主張であった。

幸いにして、この思いは上記二つの研究メンバーから受け入れられ、住友財団の研究からは「循環社会とは、①有限な地球環境の中で環境負荷を最小にとどめ資源の循環を図りながら地球生態系を維持できる社会であること、②社会経済システムにおいて費用と便益のバランスが取れた状態にあり、市場経済においても長期的な視点が重視され長期的なコスト負担も厭わない社会であること、③人間・社会という観点からは、一人ひとりの市民が自立し健康で文化的な生活を営むだけでなく、自然・次世代・他の地域などとの関連性を持ち多様な豊かさを実感できる市民社会であること」という、会としての定義が一応できた。

一方、日米研究においても、「持続可能な循環社会とは、環境、経済、人間・社会のバランスが取れた社会」という考えで日米双方の合意が得られた(図参照)。そして、この3月にサンフランシスコ大学で行われたシンポジウムでもこの考え方を披露したが、大学関係者はじめ参加者からは、「環境だけ、あるいは環境と経済の話はよく聞くが、人間・社会といった側面からも深く掘り下げた研究はこれまでに聴いたことがない」というコメントを頂き、私たちの目指した方向が正しかったという感触も得た。

では、人間・社会からみた循環社会とはどういうものかというと、私は次のように考えている。

まず第一に、「個人の尊厳が確保された社会であること」。これは、良好な環境の中で「種」としての生存が確保され、一定レベルの経済状況の中である程度の暮らしが確保されるだけでなく、人間として持って生まれた感性や創造性などが発揮され、個人としての尊厳が大切にされ、生きがいをもって生きていける社会であってほしいということだ。

第二に、「関係性が明確で、コミュニケーションが円滑な社会であること」。家族、地域、国家、自然、さらには次世代との関係性が明確に認識でき、相互のコミュニケーションが円滑に行える社会であってほしいし、それらの関係が「経済」という画一的な価値だけでなく、多様な価値でつながり、受け継がれる社会であってほしい。

第三には「開かれた市民社会であること」。産官学の従来構造ではなく、自立した市民・NGOがその一角に加わり、互いを認め、互いが得意な力を出し合いながら、対等な立場で協働して創る市民社会であってほしい。そうでなければ社会の持続性は望めないと思う。

そして第四に、「多様な豊かさの尺度を持った社会であること」。環境資源、鉱物資源、人的資源、文化的・歴史的資源等多様な資源が継続的に確保される社会であり、全ての個人が物質的豊かさだけでなく精神的豊かさも平等・公平に享受できる社会であってほしい。「金さえあれば」ではなく、多様な豊かさを、個人も社会も持てる社会であってほしい。

そして最後に、「社会全体の持続性・循環が確保された社会であること」。自立、抑制、共生など環境倫理的な考え方が個人の価値観の中に根付き、日常生活では適度な消費が定着し、それを可能にする経済活動やシステムが確立した社会であってほしい。

この提案をより具体的にするために、「30年後こんな社会で暮らしたい」というイラストも描いてみたが(追って出される報告書に掲載)、期間が短かったこと等から、研究メンバー全員で合意するには至らず、現状ではこれらは私の個人的な考えである。更に議論を重ね社会的合意が得られるものに深めていきたいと考えている。

ちなみに、6月のハワイセミナーでは、2年間のこの日米研究成果をベースに、会員の皆さんや米国からの参加者にも加わって頂き、環境、経済、人間・社会のバランスの取れた循環社会についてより深め、より具体化していきたいと考えている。是非多くの方に参加して頂きたいと願っています。

いずれにしても、環境、経済だけでなく、人間・社会の持続性という観点からも議論を深めつつ、その一方で循環社会というのは決して窮屈な社会ではなく、人間が人間らしく生きていける社会だという事を、出来るだけ具体的に分かり易く、多くの人に伝えていくことも大切だと思う。そうすることが、循環社会を、環境に関心のある人だけの議論に留めることなく、広く社会の問題としていくきっかけになると思う。

温暖化の危機は刻々迫っている。政府にもこれといった切り札はないし、鉄鋼電力等一部産業界は京都議定書の批准に未だに難色を示している。こうなったら、環境だけでなく、子ども、健康、仕事等々、何かしら社会や将来に不安や危機感を感じている一人ひとりが、他人任せにせず、真の循環社会を目指して出来ることから実行していくしか道はない。

〈追伸〉「たまには"風"を書いてみては」という加藤代表の言葉に、力不足とは思いつつ初挑戦してみた。代表の"風"を待っている会員の方には申し訳ない思いもするが、環境、経済とは一味違う"かぜ"を感じていただければ幸いです。