2002年6月号会報 巻頭言「風」より

動き出す京都議定書

加藤 三郎


今国会の会期は、6月19日までとされていたので、京都議定書の批准と関連する法令審査の時間に余裕があると私は思っていた。しかし国会が始まると、鈴木宗男議員問題をはじめ、最近の瀋陽における総領事館事件など様々な問題が沸騰し、京都議定書を審議する衆議院の外務委員会での審査がどうなるものかとやきもきしていた。

しかし、関係者の努力により、京都議定書は5月21日には衆議院で同31日には参議院で承認され、6月4日には、日本の批准が正式に決定された。まずは、心から喜びたい。日本が批准したとしてもロシアなどでの批准遅れもあり、直ぐに議定書が発効するわけではないが、ここまでくれば、そう遠くない時に発効すると思われる。

新対策推進大綱の問題点

批准に先立つ、本年3月、政府は地球温暖化対策推進大綱を改訂している。その内容は多岐にわたり、たくさんの項目が書き込まれている。地球温暖化対策の重要性と実施の困難さを十分に理解しているだけに、政府としてもかなり知恵を出し、努力もしている様子が伝わってくる。しかし、この新大綱には少なくとも次の2点において今後に残した大きな課題がある。

1)経済的手段の欠落

温暖化の原因物質の発生源は、産業だけでなく、民生、運輸など、家庭生活や企業のオフィス活動、あるいは、業務用か個人用かを問わず交通分野も含まれる。特に民生と運輸部門での排出の伸びが著しいのが特徴だ。これら一つ一つは大きな排出源ではないが、日本には世帯数が4,700万、自動車が7,200万台と、とにかく数が多い。このように多数ある発生源に対し、効果的な対策を実施するには、価格効果や税収による技術開発への助成など、経済的なインセンティブを与えるのが一番良い。しかし、日本では、この問題を10年近くも議論しているにもかかわらず、経済的手段を導入しようという国民的動きが誠に少なく、政治の課題にもほとんどなっていない。

1990年から北欧で始まった炭素税または炭素エネルギー税が、ドイツやイタリアなどのヨーロッパの大国も採り入れ、ついにイギリスも昨年に気候変動税を導入したことを思うと、日本の動きは社会の活性化の観点からも危険なぐらいに鈍いままだ。このままでは日本の温暖化対策は、エンジンが付いていない自動車のように進まないのではないかと懸念している。現在の低迷した経済状況だからこそ、適切な税制を導入し、その税収を温暖化対策の新たな技術開発や、新しい職場や社会システムを普及するための誘導的な税制として、大いに活用すべきだと私は強く思っている。

2)3.9%もの森林吸収分

日本の国土の約3分の2が森林に覆われていることで、森林に炭酸ガスを吸収してもらうと考えるのは理解できる。しかし問題は、日本の森林環境が現在どういう状況にあるかであり、3.9%もの大量の炭酸ガスを吸収しえる状況かということである。大綱によれば、日本の森林面積は現在も2010年段階においても変わらないが、単層林を削って複層林を大幅に増やし、森林の蓄積量を12%程度増やすとしている。

そのためには、森林整備等を計画的に推進し、吸収量の報告、検証体制を強化するという様々な施策を並べている。例えば、国民参加による森林の整備・保全活動の推進、地域住民、NPO等の多様な参加と連携の強化、森林環境教育の推進、あるいは学校の内装や学校関連施設など地域材を利用したモデル的な施設の整備、木質バイオマスエネルギー利用施設のモデル的な整備、加えて市民・企業・NPO等の幅広い主体による都市緑化の推進などである。

しかしながら、私自身、最近、群馬や長野の森林の管理状況を見て歩いて気づくことは、まず、植林や間伐が出来るような人がごく限られていることだ。それにまた、風倒木や間伐した木材が山中に置き去りにされている。山の専門家達は、このままでは森林での炭酸ガスの吸収どころか排出源になってしまうのではと心配している。温暖化対策だけではなく、生物多様性の保護、治山治水、あらゆる観点から見て、森林環境を整備する重要性はよく理解できるが、そのための条件があまりにも未整備だ。3.9%どころか1%も無理ではないかと言う専門家もいる。

森林を蘇らせるには、これまでの農政・林政全般を見直すだけでなく都会に住む私達を含めて、全ての人が農業や林業との付き合い方をもう一度考え直す必要がある。例えば、道路に毎年15兆円もつぎ込んできたお金のほんの一部でも森林のためにつぎ込み、管理できる人材の育成に使っていく。そうした抜本的な対策抜きにして、3.9%というのは余りにも過大だ。いずれにせよ、あと10年もすれば京都議定書による審判の時が来る。その時に、石油・石炭の燃焼などから出る炭酸ガスを90年と同じ比率に据え置いて、森林の吸収源に過大な期待を寄せた政策の是非が問われることになろう。

私たちも頑張ろう

京都議定書を達成するためには、政府や企業にだけ頼ってもいられない。自治体もNGOも国民一人一人も、なすべきことをしなければ議定書達成は不可能であるし、持続可能な社会へ踏みだすことも出来ない。「環境文明21」として当面なすべきことは、少なくとも次の4つあると私は考えている。

1点目は、地球温暖化の危機に関し、その原因や地球温暖化の将来への人間社会への様々なインパクトについての情報を、市民・企業・自治体などに向けて発信しつづけ、語りつづけていく。いわば環境教育・学習活動を強化することである。

2点目は、繰り返し述べているように、地球環境時代にふさわしい新しい価値基準を、自ら提案していく。それと共に、多くの国民の方々とこの問題について意見を交換し、話し合い、最終的には環境倫理に基づく意識・価値観の定着に貢献すべきである。私達は既に本やブックレットを出したり、様々なワークショップなどをしているが、この努力を継続し、もっと幅広い分野に広げていく必要がある。

3点目は、目指すべき持続可能な循環社会とはどんな社会なのか、抽象的な議論ではなく、市民レベルで分かりやすい具体的なビジョンを提案しながら、多くの人と語り合っていく努力を続けなければならない。私たちのこれまでの成果物を基に、多くの人たちと議論を重ねながら、私達が求める持続可能な循環社会について、様々なレベルで共有しあう必要がある。

4点目は、その持続可能な循環社会へ至る手段や道筋を、政策として提案しつづけることが重要だ。これまでも、例えば飲料自販機やクルマ社会について提案をしてきた。また憲法に環境条文を入れるべきことも繰り返し私は発言してきている。最近は、環境教育・学習の推進について、法律を作ってい欲しいと、議員立法の骨格となる提案をしている。

こうした地味な作業を継続していくことによって、NPOとしても未来世代に対してなすべき責任の一端を担いたいと思っている。