2002年11月号会報 巻頭言「風」より

ヨーロッパの環境政党と日本の政治

加藤 三郎


9月の半ば、日本中が北朝鮮への粒致被害者問題で強い衝撃を受け、憤り怒り悲しみに明け暮れていた丁度その頃、スウェーデン(15日)とドイツ(22日)で総選挙が行われた。特にドイツの総選挙の結果は、ヨーロッパのみならず世界の政治・経済の枠組みにも大きな影響を与えると思われたためか、日本でもかなり詳しく報じられた。この二つの国の選挙結果の特徴は、逆風のなかにあっても、ともに環境政党が健闘し、得票や議席を伸ばしたことである。

ドイツでは、環境政党である90年連合・緑の党(以下、「緑の党」)がスウェーデンの場合以上に大きく躍進し、8.6%の得票率、全議席603のうち55議席を獲得した。これは前回に比べ、得票率において、1.9%増、議席数は全体の定数が減ったにもかかわらず8議席増し、大健闘と評価されている。シュレーダー首相の社会民主党は、今回の選挙でやや退潮したにもかかわらず、緑の党の躍進により、政権の座から滑り落ちることなく過半数を制した。

ここでドイツ議会について簡単に触れておくと、議会は直接選挙で選ばれる連邦議会(下院)と各州代表の参議院の二院制である。下院の任期は4年で、選挙は小選挙区と比例代表の組み合わせによって行われる。日本と違うのは、国民が行使する政党別の投票総数において5%以上を獲得するか、最低3つの小選挙区で当選者を出せなかった政党は議席が全く得られないという仕組み、いわゆる5%条項がある。緑の党はかつてこの5%条項に泣かされたこともあったが、今はクリアして政権の一翼を担っており、外務大臣、環境大臣、農業大臣のような要職に人を送っている。

現在のドイツは日本と同様、経済問題に苦しみ、銀行の不良債権問題や日本よりはるかに高い失業率に苦闘している。その上、90年に実施された東西両ドイツの統合に伴う社会的、財政的コスト増や移民の増加に伴う諸問題にも苦しんでいる。80年代末までは日本と同様、日の出の勢いの経済大国であつたドイツも、今苦闘しているのだ。その中で緑の党を国民が維持し支持してきたことの政治的意味は大きい。どのような公約を掲げて選挙を戦い、その結果、どういう躍進があったかは日本にいる私たちにとっても大いなる関心事であった。

緑の党が今回の選挙にあたって掲げた「8%の得票を目指す8つのポイント:国民の選択」と題した文書では、「9月22日、みなさんは、 ドイツでエコロジカルかつソーシャルな政治の近代化が引き続き行われるかどうかの決断を下します。私たち緑の党は、8%以上得票し、 ドイツの近代化をグリーンな方向に定めたいと考えています。次の政権期に向けて、私たちの政策の中心には8つのポイントがあります」と国民に呼びかけて、次のような項目を提示している。

ところで、ヨーロッパの主要国にはいずれも緑の党のような環境政党がある。アメリカにも緑の党(Green Party)があることは本誌(Vol.9、No.2)で紹介した通りである。翻って日本では、どうして緑の党のような環境政党が存在しないのであろうか(ただ、正確に言えば、日本でもその萌芽があり、今年の1月、参議院議員中村敦夫氏の「みどりの会議」の結成によつて、少し状況に変化は出ている。とはいっても、この政党はまだわが国の政党助成法に基づく政党のレベルに達していない)。そこで、 ドイツやスウェーデンのような環境政党が何故日本にないのか、その理由を私なりにいくつか考えてみた。

考えられる一つの理由は、日本では自民党、公明党、民主党のような既存の政党が、環境のことをすでに十分に取り扱っているので、いまさら環境党はいらないという考えであろう。実際、既存の政党はかなり熱心に環境問題に取り組んでいる。最近の10年間をみても、環境基本法、循環型社会形成推進基本法、エネルギー関連法はじめ法律は沢山出来た。それは紛れもなくこれら政党の下で立法化された。したがって環境対策は既存の政党で間に合っており、ヨーロッパのような環境政党はいらないという考えである。

二つ目の理由は、本当の意味で環境と経済そして人間・社会を扱う地球環境時代にふさわしい、総合的で強力な政策体系ができていないので、日本では環境政党は政策面で時期尚早であるという考えである。

三つ目は環境対策といった単一の、シングルイシューだけの党では、現在の複雑な政治の世界に飛び出して広範な国民の支持を獲得し、リードするのは不可能であり、それが日本に環境政党がない理由と思われることである。

しかし私が今あげた二つのどの理由も、環境政党がヨーロッパにはあり、日本にない理由として十分な説明になるとはどう考えても思えない。例えば一つ目の理由について言えば、現在ヨーロッパのどの政党も大なり小なり環境問題を扱っている。ドイツで言えば社会民主党はもとより保守党として長いことドイツ社会に君臨したキリスト教民主同盟にしても、環境に一定以上の理解をもち、政策を推進してきている。

環境と経済などを統合した政策がまだできていないという″点では、これも程度の差こそあれ、ドイツなどでも似たような状況にある。三つ目のシングルイシューでは無理といっても、大政党として君臨することは無理であろうが、多党化の中で特色ある政党としてそれなりに活躍し、存在する理由は十分ありうる。

そういうことを考えると、上記三つの理由は、それだけでは今の日本の政治状況を説明するのに十分でない。私は、やはりもう一つの、そして最も重要な理由があると思わざるを得ない。それは国民一人ひとりの自立意識が弱く、相変わらず、行政や既存の組織に過度に依存していて、運命を主体的に切り拓こうという意思や、ノウハウを十分に身につけていない、その脆弱な市民力にあるように思う。このことについては、私は本欄で様々に語ってきたが、最近、特に気になっているの は各種選挙での低投票率に端的に示されている日本人の政治“不参加"姿勢である。これは近年顕著な現象となっているが、この前の7つの衆参統一補選ではなんと24.1~56。4%の低率である。ちなみに、スウェーデン、 ドイツの総選挙の投票率はともに約80%。これでは日本の国民は、自分や子供たちの未来を切り拓く戦いにおいて怠慢というよりは不戦敗同然だ。

環境政策以前にこの他人任せの政治姿勢を何とかせねば、日本の将来は明るくない。