2004年8月号会報 巻頭言「風」より

グローバリゼーションの下、地域の経済・文化が命綱

加藤三郎


6月末の5回目の日米ハワイセミナーには、日本からは13人が参加、アメリカからもハワイの人を中心にほぼ同数の参加があった。今回のテーマは、「グローバリゼーションと、地域の経済・文化を調和させることは可能か」であったが、私にとっては予期以上の収穫があり、幸せであった。

■加速化されるグローバリゼーション

グローバリゼーションという言葉は、1990年の半ばから一般的に多用されるようになり、今日の世界の特徴を表す言葉となっている。その意味するところは、人によって多少の差はあるが、「経済のみならず、政治・文化・環境など、人間の活動とその影響が、地球規模にまで拡大すること」というのが一般的であろう。

このグローバリゼーションは、貿易の拡大、航空機など交通機関の高速化、そして特にIT技術の出現によって、今や世界のすみずみまで拡がり、人間の社会にプラス・マイナスを含め、極めて大きな役割を演じている。

グローバリゼーション自体は、多数の人々の生活水準の向上をもたらした、技術や知識の向上に貢献した、民主主義化の拡大につながった、価値観を共有する世界市民が出現した等々のプラスの面も多々ある。

■無視できない負の側面

一方で、グローバリゼーションは、様々な深刻な負の側面を露呈してきた。最も深刻だと私が考える負の側面は、次の4つである。

①地球規模の環境破壊:地球温暖化、オゾン層の破壊、砂漠化、生物の種の減少などに代表される地球規模の環境の破壊が急激に進んだこと。

②競争の過酷化:貿易などを通じて、企業間・国家間の競争が過酷なまでに進展したことである。日本も過去10年ほど、中国などの安い労働力との過酷な競争に耐えかねて、生産現場は低賃金で良質な労働者が得られる国々に一斉に移動していったのが典型例である。また、昨今の企業内のリストラも、価格競争のもとで、余裕のある人員を抱えきれない結果として起こったものであろう。

③貧富の差の拡大:自由競争の結果、勝者はますます富み、敗者は経済的な力を失っていく。従って、極端なまでに貧富の差が拡大している。現実に、20世紀の1世紀を通じ、個別企業にしても、また、国単位で見ても、貧富の差は拡大している。この貧富の差が、宗教や民族の違いと合体して様々な政治的・社会的影響を引き起こし、貧困にあえぐ人たちが暴徒化し、テロの温床となって、世界の秩序や治安が流動化していくこと。

④文化の画一化:インターネットを使って、画像も音楽も映画もみな配信され、見られるような時代になった。どこに行っても同じものを多くの人が見るようになり、結果的に文化の多様性が少しずつ失われ、画一化していくこと。

グローバリゼーションの負の側面は以上の4つに限らないが、これは、21世紀の経済社会において、克服すべき重大な課題である違いない。

■地域の経済と文化が命綱

グローバリゼーションは、いかに負の側面を持っていようとも、もはや止めることはできない。ちょうど私たちが、自動車やパソコンをやめることが出来ず、飛行機で移動することも止められず、また、小学生に至るまで携帯電話を使っているのを取り上げることができないのと同じように、グローバリゼーションそのものは止めようがない。その一方でグローバリゼーションのプラス面を伸ばす努力をしなければならないが、これもまたなかなか難しい話である。私自身は、グローバリゼーションの下で、なお持続可能な社会を形成していくためのカギは、地域の経済と地域の文化を守り育て、継承していくことだと考えている。

地域の経済とは何か。その代表的なものは農林水産業であり、さらにはそれに関連するグリーン・ツーリズムといったような観光でもいい。また、地域に不可分の水、太陽、風、バイオマスなど自然エネルギーを利用する産業でもいい。もちろん昔ながらの地場産業でもよい。このような経済は、現在の規模の経済に比べると、あまりにも小さく、頼りなく映るかもしれない。しかし、スケールは小さくとも、我々が20世紀においてしばしば軽んじてきた地域に根ざした経済は私たちの生活を守り、精気と彩りを与える上で本質的に不可欠である。その経済を守り育てていくことが、グローバリゼーションが吹き荒れる中で維持すべき経済ではなかろうか。

同様に文化も重要である。人はパンのみにて生きるものにあらず、という有名な言葉があるが、人が生きるためには、やはり、芸術、芸能、物造り、宗教といったような楽しみ、人間の精神を息づかせるものもまた不可欠である。アルタミラの壁画や縄文の土器にも見られるように、物質的には乏しい太古の時代であっても、人は美しい造形を求める。そのように、人間が生きる証は文化を守り育て後代に継承していくことである。

私はその例として、長野県の長谷村に伝わる中尾歌舞伎をハワイで紹介した。中尾歌舞伎は、江戸時代から約200年、長谷村の中尾地区に伝わってきたものである。私たちの会員の一人、中村徳彦さんも、その伝承にあたっている。あるかなきかの儚いようなものかもしれないけども、ここに人間の生きる証があると言っても過言ではない。長谷村の村歌舞伎だけでなく、地域に継承されている祭り、宗教行事など、人間が生きる喜びや意味を求めて集う人たちがいる。それこそがグローバリゼーションが吹き荒れるなかにあっても、人間が地域とつながって持続的に生きてゆく命綱のようなものだと私は考え始めている。

■Sで終わったハワイ

私がこういう話をハワイセミナーの冒頭にしたが、偶然であるが、日米双方からの事例報告も、私とほぼ同じような考えのものとなり、うれしくもあり、示唆的でもあった。最後にみんなで議論をしたときに、結局、今回のセミナーの結論は、Sで始まる言葉で集約できる、ということになった。Small, slow, simple, share,smile, sincere などである。このSで始まる言葉はどうも人間が持続的に生き抜いていくのに最も必要な姿勢を示しているように思われた。