2005年1月号会報 巻頭言「風」より

京都議定書は一条の希望の灯り

加藤 三郎


■英知と欲望の谷間に咲いた京都議定書

地球温暖化防止のための京都議定書は、ロシアの批准により、アメリカ抜きでも本年2月16日に発効することとなりました。ここまで来るのに長い時間がかかったことになります。

まず科学者が、石炭などの化石燃焼から発生するCO2は地球を暖めるガスであることを発見し、そして何度くらい上がるかを試算してから約1世紀が経ちました。本格的な調査研究をするようになってから約半世紀、そして国連がこの問題に本腰を入れて取り組み始めてから、ほとんど20年にならんとしています。京都議定書関連について言えば、1991年初から始まった国連の温暖化防止条約交渉から数えれば14年、京都議定書の成立からは7年経って、やっと発効するわけです。

その間私は、温暖化問題に直接・間接的に係わってきましたが、京都議定書を一口で表現すれば、人類の英知と欲望の谷間に咲いた花のようなもので、まだ力は弱いけれども、ここに人類の未来を託す、一条の希望の灯りに思えてなりません。人類の英知とは、約1世紀に及ぶ科学の成果を基にし、また、今日の経済社会のあり方に対する懸念や厳しい反省を踏まえると、限られた地球環境の中で、このやり方を今後も続けることは不可能であることを認識して、新しい道を探し始めたことです。

一方で、欲望と言えば、私を含め人間は、やはり物に恵まれ、もっと快適で楽に暮らしたいという要求があります。その欲望を支え、あるいは火をつけるのは、科学技術の力でもあります。わずか30年前では考えられもしなかったことが、今ではごく当たり前になっています。パソコンや携帯電話がそうですし、航空機の大衆化もそうです。より便利なものが、次から次へと科学技術の力をかりて供給され、それがまた新たな欲望に火をつける無限循環の姿です。地球上の多くの人が「環境問題には関心があり、心配もしているが、今ある豊かさは捨てられない」とか「今ない豊かさを手に入れたい」ともがいているのです。

その中で、直接的には、温室効果ガスの削減ですが、広く言えば、エネルギーの使用量自体を削減する第一歩である京都議定書が、130近くの国の批准を得て、発効しようとしているのは奇跡的でもあります。先程「英知と欲望の谷間に咲いた花」と表現したのは、そういう思いからです。

■これでも温暖化はまだ序の口

京都議定書は、決して順風満帆の発効ではありません。日本国内でも、この議定書の欠点をあげつらって得意になっている人も少なくありません。しかし、知ってほしいのです、地球の温暖化は、まだまだ序の口だということを。本誌前号にある、西岡秀三さんの文章やその中の図(4頁)を今一度見ていただきたい。どの図を見ても、地球温暖化はまだ序の口であり、これから20年、30年、50年と経るにつれ、夏場の気温は上昇し、昨年経験したような豪雨や台風の威力が増していくことを明瞭に示しています。昨年の夏が異常気象だと騒いだのもつかの間、将来にわたって、もっと厳しい事態が予想されています。従って、例えばイギリスのように、2050年くらいまでには、60%くらいの削減が必要だと考える国も出てきています。私たちは、6%削減でさえ、「たいへんだ、不可能だ」と言っている人や団体をたくさん見ていますが、技術や経済の現状ばかりに足をとられていては先に進めないし、未来が見えてきません。

■戦略なき抵抗はやめ、環境力ある賢明な対応を

私は、今日本の中に根強く残っている、地球温暖化対策に対する消極論ないしは敵対意識のようなものは、戦略なき抵抗だと考えています。なぜ戦略なき抵抗と考えるか、その理由は、第一に、地球温暖化は、一部の学者やはねあがった環境論者が騒いでいる問題ではなく、科学的な事実であり、もはや現実の問題となってきているからです。しかも、事態はまだ序の口なのです。

第二に、従って、将来的には、もっと厳しい規制が待ち受けていると考えなければなりません。規制だけでなく、地球温暖化に伴う異常気象による被害がさらに拡大していけば、対策を引き伸ばしている政府や企業などに対する多数の訴訟も考えられます。これに関しては、水俣病に対する最近の最高裁判決が大いに参考になると思います(これについては別途論ずるつもりです)。

第三に、温暖化対策がたいへんだ、たいへんだと、解決は不可能だとする人たちに対しては、制度や国民一人ひとりのライフスタイルが変わっていけば、まだまだ対応は可能だと言いたい(次ページ参照)。ここで強調しておきたいのは、かつて70年代の公害対策における日本企業の貴重な経験によれば、それは決して企業の力を削ぐものでなく、むしろ経営の質を高め、結果的に競争力を高めるものになるということです。さらに言えば、単に企業が強くなるだけではなく、国民生活にとっても、温暖化という厳しい中にあっても、希望の持てる、また誇りの持てるものになっていくに違いないし、世界に対する貢献になると思います。

第四の理由として、ブッシュ政権は、しばらくは京都議定書に後ろ向きの政策を続けるでしょうが、EUを中心に、新しい枠組みが作られつつあります。今月のEU排出権取引市場の創設などは、まさにその典型例です。日本の政府や企業の中で、後ろ向き姿勢を続けている間に、世界市場では枠組みがどんどんできていってしまうのですから、むしろ積極的に、日本の環境力にふさわしい土俵作りに貢献し、日本の最も得意分野である環境技術分野で、リーダーシップがとれる環境を作っていくべきだと考えます。

私たち国民も、新しいライフスタイルによる新しい喜びを発見できるに違いありません。何もエネルギーを使わなければ楽しくないわけではなく、例えば碁、将棋、散歩、山登り、読書、子供にしても、コンピューターゲームにかじりつくだけでなく、凧揚げ、こま回しなどもあります。さらに文化的な活動は、必ずしもエネルギーを多消費しなくとも、新しい楽しみや潤いを提供するに違いありません。それは喜びだけでなく、将来世代への責任でもあり、最大のプレゼントともなります。

■希望の灯りを守り抜こう

京都議定書は、地球温暖化という人類が引き起こした、気候システムの脅威に対する長い戦いへの第一歩にしかすぎません。しかし、第一歩がなければ、第二歩も第三歩もないのですから、この第一歩の灯りを吹き消されないように、皆で守り抜いていくしかありません。それは必ずしもつらいこと、暗いこと、苦しいことではなく、新しい喜び、技術、ビジネス、雇用などが発生するきっかけになり得るのですから。