2005年5月号会報 巻頭言「風」より

「環境権」も含む「環境原則」を

加藤 三郎


憲法改正問題については、遅まきながらかなり活発な議論が各方面でなされるようになってきた。国会としては、5年かけて検討してきた衆議院と参議院の憲法調査会から、4月中旬に相次いで最終報告書が出された。今年に入ってからは、私たちだけでなく、中曽根康弘さんの世界平和研究所や日本経団連、日本商工会議所などの民間団体からも具体的な提案が出てきた。

本誌の読者はご存知のとおり、当会は、昨年の4月に憲法についての会員アンケートを行い、その結果に基づいて、昨年7月憲法部会を立ち上げ、本年1月13日に第一次案を取りまとめて公表した(本誌2月号にその特集)。その後も、第一次案に対する意見をいただき、また憲法部会の内部での様々な検討を頻繁に行い、この4月26日のシンポジウムで第二次案を発表した。

第一次案と第二次案の違いは、結論からいえば基本的にはない。ただ、言葉の整理を若干行い、また、条文の出し方の順番を変更した。しかし、第一次案では、「環境条項」という言葉を使って提案していたが、今回は「環境原則」という言葉に変えた。いわばカンバンを変えた。その理由とこれまでに寄せられたいくつかの基本的な疑問に対して、改めてお答えしたい。

私自身は、今から約8年前に本誌上で、日本の憲法の中に環境の「か」の字も書かれていないことを指摘し、環境について何か書くべきことを、国民みんなで議論するよう提案した。それ以降、私も具体的な条文を提案し、本誌においてもそれを紹介している。その段階では、良好な環境を享受する権利とそれを保全する責務、さらに国のいかなる政策においても、環境の保全に努めるべきということが中心であった。この2つを環境条項として提案し、私の書著、講演などでも繰り返し主張してきた。

少人数ながら憲法部会で議論を開始すると、私のこの考え方が十分ではないことが明瞭になってきた。すなわち、今後重大な脅威となる環境の悪化に対処するため、現憲法には欠落している環境条項を導入すべきこと、また過去10年くらいの間に予防原則などの新たな原則が国際的に確立され、それがいくつかの国の憲法に取り入れられていることを考えると、先程の2条程度では済まないことが全メンバーの合意となった。さらに日本を持続可能な社会に転換していく方針を明確にすることの重要性を考えると、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という現憲法の3原則だけでは足りず、もう一つの原則、いわば環境原則を立てることが必要との判断になってきた。

そのことは第一次案でも訴えたつもりであったが、その後メディアでの環境問題の取り扱い、なかんずく憲法調査会の報告における「環境」の取り扱いを見ると、「環境」は、衆院、参院ともに「新しい人権」の一つとしか捉えられていないことに危惧の念を覚えた。もちろん、知る権利、プライバシーの権利、被害者を保護する権利など、現行憲法には欠如している人権を追加することは必要であろうが、私どもの主張は、単に「新しい人権」の一つとしての環境権だけを求めているのではなく、21世紀における日本の憲法上すなわち国政上の新しい原則として、上記3原則と並んで環境原則を入れなければ、持続可能な社会の実現が確実にならないとの思いでこの点を強調することとしたのである。

このことを明確に示したのが、下の図であり、これをもって、4月26日のシンポジウムに臨んだ。

私たちのこのような主張に対して、いろいろな批判や疑問が投げられているが、その内基本的なものを3つだけ取り上げて、それに対する私の答えとしたい。

(1)平和主義が軽視、後退、ないしは改悪されるのでは

私は、環境を主張することが平和主義を軽視・後退させることには全くつながらないと考えている。言うまでもなく、環境を守るためには、戦争や紛争のない状態がいちばんいい。しかしながら、本誌でも繰り返し主張しているように、戦争や紛争のない平和な状態は、軍事力だけで守られるものではない。そのことがより明瞭になったのは、21世紀の第一年目に起こった9.11とそれ以降の出来事であろう。アフガニスタン戦争やその後を見ても、イラクの現状を見ても、軍事力だけで平和が維持されるわけではない。総合的な安全保障が必要であり、その中で環境もまた重要である。私たちが、環境の保全は九条の問題に勝るとも劣らない根源的な事項であると考えるのはそれ故である。

(2)憲法いじりをするよりは、税や規制の強化など、実定法などで現実的に対処する方がよほど大切ではないか

環境問題に限らず、理念や枠組みを議論することを不毛な観念的な議論だとして退ける傾向が日本では確かにある。税や規制の強化などが重要であることは、本誌でも繰り返し述べてきた。しかしそれ以上に、憲法というわが国の最高法規の中に、環境の適切な位置づけを行い、国の方針や国政のあり方を明瞭に示すことはより重要であり、このことを議論することが不毛な、観念的な議論だとはさらさら思っていない。

今から1400年前に、聖徳太子が17条憲法の中で「和をもって貴しとなす」との理念を明示したことが、その後ずっと日本人の心に大きな拠り所を与えていることを想起してほしい。地球環境時代という、それ以前とはまるで違う時代に入って、「環境」を最高法規である憲法の中にどう位置づけるかを議論することは、聖徳太子がその憲法において「和をもって貴しとなす」の理念を高く掲げたのと同様、極めて重要だと考えている。

(3)環境権だけでは不十分なのか

いわゆる環境権の中身をどう規定するかにもよるが、私たちの主張は、単に権利を一つ追加してほしいと言っているのではない。いちばん大事なのは、日本の国のカタチであり、それに何を求めるかであるが、一口で言えば「持続可能な社会を求める」という主張に帰着する。その観点からすると、持続可能な社会はいかにしてできるか、これもまた私たちが繰り返し主張しているように、環境面だけでなく、経済面、人間・社会面いずれもバランスが取れてなければならない。現行憲法は、経済面や人間社会面についてはそれなりに規定しているが、環境面についてはまったく触れていないので、それを補強しつつ、持続可能な社会を追及するという理念を高らかに明示することである。

その観点で私たちは、3原則から4原則へと主張しており、環境原則の中に、予防原則や 行政における環境保全の優先性、国際協力の重要性なども提案している。これは、環境権(もちろんその中身にもよるが)にとどまるものではない。そういう意味で、環境権だけでは不十分であり、環境原則が必要であると主張している。

私たちは、4月26日に150名近くの人の参加を得て、シンポジウム「憲法にもう一つの柱を」を開催することができた。本誌と次号に掲載するように多くの国会議員にもご出席いただき、それぞれ熱のこもったスピーチをいただいた。メディアもそれなりに報道してくれた。私たちとしては、この主張をいろいろなところで、あらゆる場面で展開していきたいと思っている。

地方に住む会員の皆様の中で、地方でもこういうシンポジウムなりワークショップなりをやりたい方があれば、私をはじめメンバーはどこへでも出かけていく。その際には、可能なら市会議員や県会議員、国会議員なども交えて議論していきたい。もちろん私たちの主張に反対という方々に対しても、オープンな場としたい。さしあたって、関西で次回は開きたいと思っている。