2005年6月号会報 巻頭言「風」より

『成長の限界』との30年

加藤 三郎


本誌の読者ならどなたも、『成長の限界』という本をご存知だと思います。1972年6月に、国連として最初の地球環境会議である国連人間環境会議が開催されるのに合わせて出た本です。これは世界の先進的な企業家や学者で構成されたローマ・クラブの本と一般には言われましたが、ローマ・クラブが直接作業したのではなく、MIT工科大学のデニス・メドウズを中心とする若手研究者グループに委託して作業させ、その成果である「成長の限界」説とこれに対するローマ・クラブの見解を付して発表したものです。

1972年といえば、日本も他の先進国世界もみな高度経済成長の真っ只中にあり、それを謳歌していた最中でした。そんな時にこのまま経済成長を続けたら、人口、食料、資源、汚染などの面で人類社会は、今後100年以内に制御不能な危機に陥る可能性があると定量的な推計データに基づき「成長の限界」を警告したので、賛否両面からの大きな反響があったのも当然です。当時は否定的な意見が多く、特に多くのエコノミストは、市場が持つ調整機能(例えば資源が不足すれば価格が自動的に上昇して浪費が避けられ、汚染が問題になれば、汚染防止に投資が向けられるので、やがて汚染は克服されるとの説)をメドウズたちは無視しており、問題にならないと冷笑する雰囲気すら強かったのです。

この話題の書に対して私はどうしていたかというと、1966年から厚生省公害課で役人生活を始めてから、当時の燃え盛る公害問題、具体的には大都市のスモッグ問題、四日市、水島、鹿島といったコンビナート公害、イタイイタイ病などの深刻な健康被害問題などに追いまくられていました。ですから、地球環境がどうなっているのかとか、私たちが今取り組んでいる環境と経済の調和などを考える余裕は全くなく、公害の火をどうやって消すか、そういうことに忙殺されていたのです。

1971年に新設された環境庁に移ってからは、国連会議への政府代表団の末席として出席することを命ぜられました。当時私は30歳を少し越すぐらいでしたが、会議のための準備をしている間に、世界の環境問題は、日本の公害問題とは様相がまるで違うことに目を開かされ、今で言う地球環境問題に気付かされたわけです。東京の光化学スモッグ、富士のヘドロ問題、化学コンビナートなどの問題に格闘していた人間が、突然、地球の問題に目を見はらされたのです。

しかし、当時は国連会議への諸準備で精一杯。話題の『成長の限界』など読む余裕も時間もなかったのですが、国連会議が終わるとその翌年に私はOECD日本政府代表部に新設された環境問題担当書記官としてパリに赴任することになります。時間に余裕が生じたので、初めて『成長の限界』を手にとって読み、大いに同感するとともに大変刺激を受けました。

国連会議への出席やこの本がきっかけとなって、その後私も地球環境問題に深く入り込んでいくことになりました。そして地球や人類社会の将来を私流の手法で予測してみました(例えば「人口及び環境問題の将来」1975年『公害と対策』誌)。 メドウズたちは、「成長には限界がある」との見通しが、20年たってどうなったかを検証するため『限界を超えて』を1992年に出版し、72年時点で予測したことが基本的には正しいことを確認しています。93年2月にこの本のキャンペーンのためにメドウズが来日したとき、私は環境基本法作りでとても忙しかったのですが、彼を東京の宿舎に訪ね、一緒に朝食を食べ、貴重な一時を持ちました。彼は著書の中で、まだ希望があると書いていたので、遠慮しないで「地球環境が危険だ」と率直に述べた方がいいのではないかと私は言ったことを今も記憶しています。

それから12年ほど過ぎて、メドウズたちは『成長の限界~人類の選択』という3冊目の本を出しました。早速読んでみたところ、全く共感を覚えました。特にこの本の最後の方で持続可能な社会をつくるための基本的な心構えとして①ビジョンを描く、②ネットワークを作る、③真実を語る、④学ぶ、⑤慈しむ、という5項目を挙げています。一方、私は、近著の中で、環境力を養う方法として①「成長」に固執しない、②まともな科学に耳を傾ける、③科学技術の本性を忘れない、④経済的手法の効果を見損なわない、⑤公平・公正の感覚を研ぎ澄ます、⑥良きNPOを友とする、⑦歴史や古典に学び、希望を失わない、の7項目を挙げています。メドウズと私とでは表現は違いますが、思いは同じなのです。日本とアメリカ、しかも専門も育ちも違う。しかし、人類の将来を心配して、持続可能な社会をつくるしかないと思うに至った日米の二人が極めて近い結論にたどり着いている。言ってみれば、30年ぶりに会った昔の恋人と今でも同じ方向感覚と世界観を共有していることを発見するのに似て、感慨ひとしおです。

アメリカ人であり、学者・研究者として育ったメドウズは、システム分析を専門としていますが、経営学も勉強しています。一方、私は、物事を考えるとき、日本の高度成長期における激烈な公害対策の最前線にあった体験が、ベースになっています。それからもう一つ、若い頃から江戸時代に興味があり、幕末から明治への変化、それをもたらしたものは何かを学びました。分かりやすく言えば坂本竜馬、その先生でもあった勝海舟、その兄貴分だった佐久間象山、あるいは吉田松陰などの人間像を通して、時代のパラダイムが変わるとはどういうことかを勉強したことが、私のバックボーンになっています。

「京都議定書の達成が大変だ」と言っている人に対しても、大変なんかでないと言い切れるのは、あの激しい公害を克服した経験があるからです。20~30年前のあの熱いエネルギーをみんなが出せば、今日のCO2問題を克服するのはそんなに難しいことではないはずです。CO2対策をすると世の中は不況になる、窮屈になると言うグループがいますが、とんでもない。むしろ今まで忘れていた、また知られていなかった新しい技術やビジネスが出て、生活に落ち着いた潤いが出ると確信を持って言えるのは、やはり公害時代や江戸時代の勉強があるからです。

メドウズたちの最新の文章を読むと、全く同じようなことを言っています。持続可能な社会をつくったら、意気消沈し、失業者があふれるとか言う人がいるが、全くそんなことはないと。アメリカから考えようと、日本から考えようと、やはりまともなところへ落ち着くものだということを、今改めて、しみじみとかみしめています。