2013年2月号会報 巻頭言「風」より

日本の再生は教育から

藤村 コノヱ


政権交代から約二カ月。マスコミには連日、世界一の借金約1000兆円を積み重ねてきた人たち、経済格差を広げてきた人たち、原発を推進してきた人たちが、喜々とした表情で登場し、反省も懲りることもなく、経済再生を叫び、原発の再稼働や輸出を進めようとしています。選挙で国民が選択した結果とはえ、3.11や歴史的な政権交代を経験し、日本再生のためには根本的な課題を解決する以外に方策はないことを学んだはずなのに、と暗い気持ちになってしまうのは、私だけでしょうか。

そうした中、安倍総理が経済再生と並ぶ重要課題としている「教育再生実行会議」の初回会合が1月24日開かれました。第一次安倍内閣当時にも設置されていましたが、その時には充分な成果を挙げられなかったという経緯があります。「教育」を最重要課題としている点はとてもうれしいことです。しかし議論される内容は、①いじめ問題、②教育委員会の見直し、③大学のあり方の見直し、④グローバル化に対応した教育、⑤6・3・3・4制の見直し等で、まずはいじめと教育委員会の見直しと言った直近課題から議論するそうです。

確かに、いじめや体罰は大きな問題です。大津市の中学生の自殺を機に文部科学省が行った全国調査では、(昨年)4月以降の約半年間に全国の小、中、高校等で認知されたいじめは14万4000件余。一昨年1年間の7万件を、半分の期間で倍以上も上回ったそうです。一方、大津市のいじめや大阪市での体罰問題への対応のまずさ、それに橋下大阪市長の動きなども絡まって大きな話題になった教育委員会。もともと第二次大戦後に、日本の教育の民主化のために、教育を受ける権利や男女共学等と併せてアメリカから導入された制度で、住民自治や親たちの教育自治の精神に基づいたものですが、昭和31年にこの制度は日本にふさわしくないという理由で、現在のようなお役所的、中央集権的なものに変更され、その後形骸化がずっと指摘されてきた経緯があります。

いずれも疎かにできない問題で、これら現実の問題から、現在の教育の根源的課題にまで議論が深められるのであれば、何らかの成果は期待できそうですが、文部科学省が事務局となり、政府が選んだ「有識者」と言われる人たちの数回の会合でまとめるという従来のやり方では、根本的問題を解決し、日本の教育を再生させることは到底無理ではないかと思えるのです。

とはいえ、せめて、しっかり議論してほしいと思う二つの事を述べてみたいと思います。

①教育の方向性を明確に示し、智恵と人間力で尊敬される国を目指そう

2年前(2011.1月号)のこの欄で、私は「教育のたて直しから」と題し、全てが衰退傾向にある日本を立て直す鍵は「教育」であることを述べました。そして、日本の教育が目ざす方向は、現在の教育基本法にあるように「・・・、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成」であり、「伝統を継承し新しい文化の創造を目指す教育」であること。一方、昨今の政治家や経済界、多くの国民が心奪われている市場経済、新自由主義が目指す人間像は、「自らの満足を最大化する目的をもって合理的に行動する人間」であり、利他や公共の精神、人類共通の公共財である環境を守る思想は含まれておらず、地球環境時代には相応しいものではないこと。そして、有限な地球環境の中で量的に成長し続けることは不可能であり、社会の持続性を確保しつつ、安心・安全でこころ豊かに暮らせる社会(環境文明社会)を実現するには、新自由主義的教育ではなく、教育基本法が目指す方向こそが相応しい旨を述べました。今もそう信じていますし、競争・効率性を重視する新自由主義的教育を継続する限り、いじめや体罰はなくならないと思っています。

安倍総理がどちらを目指しているかは定かではありません。しかし少なくとも、アベノミクスといわれる経済政策、教育再生実行会議初回会合での「強い日本を取り戻すため」という挨拶、全学年35人学級を費用対効果が疑問という理由で早くも断念したことなどから察すると、我々が目指す教育の方向性とは異なるように思えます。

明治はじめに日本を訪れた多くの外国人が絶賛したのは、日本人の識字率の高さと次世代を愛する国民性だったと言われます。経済力や軍事力ではなく、日本の長い歴史の中で培われた国民性を活かした教育と人間力で、強い日本ではなく尊敬される日本を目指す、そのためにもまず、教育の正しい方向性についての議論を深めてほしいのです。

②公教育にこそ、もっと予算を

昨年9月、OECDは加盟34か国の教育状況の調査結果を公表しましたが、2009年の日本の国内総生産に占める教育機関への公的支出の割合は3.6%。しかも3年連続最下位という不名誉な結果でした。一方日本では、15歳の生徒の75%以上が塾などの課外授業に参加しており(OECD調査)、その額の多さが、日本の教育の質・量の高水準に貢献していると指摘しています。しかし、民間の教育産業に大きく依存するこの状況は、平等に教育を受ける権利を脅かすだけでなく、こうした状況が少子化に拍車をかけているとも考えられ、持続可能性の観点からも決して望ましい姿とは言えません。

OECDが3年ごとに行なう15歳の生徒を対象とした学力到達度テストで毎回トップのフィンランドは、苦しい財政の中でも教育投資こそが、将来雇用を増やし、よき納税者を育てることになるという国民的合意のもと、教育改革を進めてきた国です。そして教員は大学院修士課程以上を修了した者しか就くことができない憧れの職業になっているそうです。ちなみに、この国で塾に通う15才はわずか10%程度。日本は、経済成長の虜になってしまって、「塾」という産業発展のために政府があえて公的教育に投資しないのではないかと勘繰りたくなる状況ですが、本気で日本再生を考えるのであれば、教育にこそ力を注ぎ、場当たり的な公共事業ではなく、将来に続く教育にこそ世界に恥じない規模の公的資金を投入すべきです。

環境文明社会について議論した折、教育は政治、経済、技術などの社会システムと私たちの暮らしの全ての基盤にあることを確認しましたが、教育の重要性は誰も否定しません。しかしいつも議論は先送り。今回も、教育理念については、参院選後に議論するようですが、まずは、上記のような議論を早急に始め、それを基盤に倫理ある経済の再生を目指すべきです。そしてそうした議論こそ、是非国民的議論として展開してほしいと願っています。