2013年6月号会報 巻頭言「風」より

国のリーダーは、現世代だけでなく、将来世代への責任も負うべき

藤村 コノヱ


「私自身がトップセールスをする経済外交の第一弾」と外遊前に語ったように、5月の連休中、安倍総理は、経済界の代表も多数伴って、原油などのエネルギーの安定的確保と原発輸出を主たる目的に、ロシアと中東を意欲的に訪問。また、茂木経済産業大臣はアメリカのシェールガス生産拠点を視察し、日本への輸出を強く働きかけるなど、政治・経済界のリーダーと言われる人たちは一丸となって安価なエネルギーを求めて経済・エネルギー外交を展開しました。その流れは今も続き、アフリカ諸国との交渉も盛んなようです。

一方同じ時期に、本年11月に開催される気候変動枠組み条約締結国会議(COP19)に向けた作業部会がボンで開催されました。この会議では、これまでこの問題に後ろ向きだったアメリカが、オバマ大統領が気候変動を重要課題の一つとしたことを受け、将来に向けた独自案を提案しました。それに対して、日本は、安倍総理が25%削減目標をゼロベースで見直すことを明言したこともあり、自らの削減目標さえ示せず、途上国支援のための資金援助が先進国の約4割を占めることを強調した以外、何の提案もできなかったようです。

経済発展のためのエネルギー獲得に総理自ら奔走するのに対して、将来世代の(というより既に国内外で多発する異常気象を見れば現世代の)重要課題である気候変動問題を置き去りにしたようなこの状況は、「現世代の経済」を重視する現政権の姿勢を如実に表わしているように思えます。また、福島のことを考えると、原発輸出など到底考えられる状況ではなく、その倫理感のなさを疑いたくなりますが、それ以上に、この国のリーダーといわれる人たちの「生命」そして「将来世代」に対するあまりの鈍感さに唖然としてしまいます。 エネルギーが人間・社会にとって不可欠であることは私自身認識しています。しかし、何故そんなに経済成長の為にエネルギー確保に躍起になるのか、次世代に残しておくべき資源まで掘り尽くす必要があるのか等々の疑問がわいてきます。(3000m以上もの地下や海底深く掘って資源採取する姿は、私には次世代の資源を奪っているとしか思えません。)

確かに、従来の経済成長はエネルギーの大量消費によって成り立っていたため、経済成長とエネルギー消費は切っても切れない関係にあると考えられてきました。しかし、温暖化防止のためエネルギー消費を抑えつつ経済成長も成し遂げた国があることから、最近は経済成長とエネルギー消費は切り離すことができるという考え方(デカプリング)があちこちで言われるようになっています。

スウェーデンでは1990年から2006年にかけて、温室効果ガスを8.7%も削減、GDPは44%増加したそうです。それは、①エネルギー総使用量の半分以上を占める家庭で、暖房用に使用していた石油を木材チップなどバイオマス燃料に変えたり、②家庭・サービス分野のエネルギー税と炭素税は高めに設定し、国際競争に晒される産業界や農業分野ではエネルギー税0%、炭素税21%に設定する等全体的な税制改革で様々な税率を組み合わせたり、③グリーン電力証書やEU排出権取引の活用により経済の流れを環境によいものに変えたことで、エネルギー消費量と温室効果ガスの削減はもとより、経済成長も成し遂げたわけです。

ここで留意すべき点は、スウェーデンは、気候変動は国の最優先課題として位置づけ、考えられるあらゆる手段を講じた結果、エネルギー消費量及び温室効果ガスを削減し、経済もよくなり、デカプリングに成功したということです。気候変動への危機感と温暖化防止に向けた政府の強いリーダーシップがあったからこそ、なし得たことです。(実は日本でも1970年代のオイルショックの時には、徹底した省エネを余儀なくされましたが、経済への打撃はなかったそうです。)

もう一つ、エネルギーと寿命の関係を示すデータがあります(図1)。人間が生命を維持するためにはエネルギーは不可欠ですが、ある程度以上にエネルギーを消費しても寿命は延びないというものです。エネルギーを二倍消費しても160才まで生きられるわけではないのは当たり前のことです。

要は、エネルギーを大量に消費したからといって、経済が格段に成長するわけでも、国民福祉の重要指標である寿命が格段に伸びるわけでもないということです。それに、これから先の日本を見たとき、明らかに人口は減少します。また省エネは日本が世界に誇れる技術で、省エネの工夫も原発事故以降多くの国民が実行していることです。さらに太陽、水、風、地熱、木材など再生可能エネルギーの利用も政策次第で大幅に拡大することを考えれば、高価なエネルギーを大量に海外から輸入しなくても、日本は普通に豊かな生活が送れるはずです。

廃棄物処理の第一原則がごみになるものは買わない(入口を閉める)、ごみ排出量を減らすことであると同様に、ますます深刻化する地球温暖化と資源の有限性を考えれば、エネルギーに関しても、(将来世代に必要な資源を残すためにも)まずその消費量を減らし、その上で必要なエネルギーは環境負荷の少ない再生可能エネルギーで賄うことが原則だと思うのです。

一時期「鈍感力」という言葉がはやりました。確かにリーダーといわれる人たちには、それが必要な場面もあるでしょう。しかし、原発、そして温暖化という将来世代に大きなツケを残す課題に対しては、鈍感では困ります。5月号風で加藤共同代表が書いているように、二期目に入ったオバマ大統領は、就任演説で「自らのためだけでなく子孫のために、米国民としての責務を果たすべきだ。我々は気候変動という脅威に対応していく。それに失敗すれば、子どもや未来の世代を裏切ることになると知っているからだ。」と述べ、一般教書でも「子供たちや未来のために、気候変動問題にもっと対処しなければならない。」と述べています。安倍総理もオバマ大統領同様に、ある意味で二期目に入ったわけですから、国益、なかんずく経済ばかりにとらわれず、世界の潮流そして将来世代に思いを馳せながら、有限な地球と資源、世界の平和と全ての人々の幸せを考えた時に、一国のリーダーとして本当に最重要課題は何なのかをしっかり見極めてほしいものです。

経済外交、特にエネルギー・資源の争奪戦は、最大の環境破壊である戦争につながりかねません。 一方「環境」は「公共財」で、それを守るためには全人類の協働・連携が不可欠です。それは日本が最も貢献できる分野であり、世界平和にもつながる貢献だと思うのです。