2014年7月号会報 巻頭言「風」より

アナログ人間の心配事

藤村 コノヱ


5月から猛暑日を記録したかと思えば、6月に関東各地でひょうが降るなど、日本でも気候変動による異常気象が日常化しています。一方、集団的自衛権の拡大解釈が強引に閣議決定されたり、原発規制委員会で最も慎重派だった委員に変え原発推進派が委員になり原発再稼働の動きがさらに加速するなど、不安や心配事が絶えません。

それらに加え、日常のふとした場面でも大丈夫?と思うことがいくつかあります。その一つがスマートフォンの異常とも思える広がり、それも含めたITの果てしなき進化?です。

インターネットの普及はそれが商業化された1995年以降著しく、IT革命といわれるように、私たちの暮らしや経済、社会に大きな変化をもたらしました。私にとっても仕事をする上でパソコンは欠かせなくなっていますし、インターネットも調べものには重宝、といった具合にいろんな恩恵を受けています。それでも最近のスマホの急速な広がりは(業界でもパソコン時代の常識が通用しなくなったと言われるそうですが)、素人目にも様々な問題を孕んでいるように見えます。歩きスマホは言うまでもなく、電車に乗れば10人中7-8人がスマホに見入り、耳にはヘッドホンをつけ、周囲を一切遮断した人を多く見かけます。ファミレスに行けば、親子連れなのに親も子もスマホに熱中し一切会話なし、恋人同士でも並んで座って互いにスマホです。何が楽しいんだろう?と、つい思ってしまうのですが、とにかく異常なほどの広がりです。そんな中で特に気がかりは、中・高生そして最近では小学生にまで広がる影響です。(ちなみに、平成24年度内閣府調査では、自分専用のスマホも含めた携帯電話の所有率は、小学生24.1%、中学生46.2%、高校生97.6%。)

成長期にもかかわらず、運動や外での遊びはせず、常に視神経と指先と脳の一部だけを刺激しているのですから、身体の発達への影響は当然あるでしょうし、スマホ依存症が世界中で問題になるなど、精神への影響も顕在化しています。加えて、いじめや人権侵害、ストーカーやわいせつ事件に巻き込まれる事例も増えているそうで、個人の問題では済まされないところまできていると言えます。こうした状況に対して一部学校などで対策が検討され始めたようですが、社会全体では、“もっと、もっと使おう”という流れは加速されるばかりです。

ご存知の通り、環境文明21では、安心・安全で皆が心豊かに暮らせる持続可能な環境文明社会を目指しており、技術についても、「地域の資源を最大限活用した(地域適正)技術」「ハイテクだけでなくローテクも駆使し自然の理に沿った技術」「脱化石技術」、そして、「真に人や社会を幸せにする技術」が望ましいと考えています。そして技術には疎い私ですが、その技術を受け入れるべきかどうかの判断基準は、素人らしくシンプルに“自然の理から外れていないか”と、“多くの人や社会を幸せにする技術か”です。

確かに、スマホは使う人には便利な道具かもしれませんし、その普及はIT業界やその周辺企業には大きなビジネスチャンスでしょう。しかし、充電や国内外をまたぐサーバーや中継基地でのエネルギー消費(単体で省力化が進んでも総量は増加)、鉄塔設置など基盤整備による自然破壊、廃棄後の処理の不十分さなど環境への負荷は確実にあります。また、人や社会を幸せにしているかについても疑問が残ります。実際、可視光線の中で最も強いエネルギーを持つブルーライトを多用したスマホ画面が目や体内時計に影響することが医学的に明らかになり、スマホ依存症が既に深刻な問題になっていることを考えれば、“心身の健康”という幸せの大きな要素の一つは打ち消されます。さらに、スマホがいじめなどの道具になっているとすれば、“人とのつながり”という幸せの別の要素も失せてしまいます。こうしたことは使い方次第で解決できるという意見もありますが、それさえも分からぬままスマホに熱中する子供たちに笑顔などなく、将来どんな大人になるだろう?ちゃんと育つだろうか?人との付き合いはできるだろうか?この子たちがつくる社会は一体どんな社会になるだろう?と、不安が募ります。

そして、これらも含め最近のITの際限なき拡大には、人としての様々な知能や機能、本能までが退化してしまうのではないか、グローバルが故に原発同様暴走を始めると制御不能になり、行き着くところITに使われる社会、人間不要の社会になるのでは、という不安さえ湧いてきます。そんなことは取り越し苦労で必ず人間は解決できる、これは世界の大きな流れであり止めようがないというのが大方の意見でしょう。また、技術の進歩とはそうしたもので、現に気候変動予測など人類の進歩に役立つことも沢山あるではないかという意見もあるでしょう。しかし、これまでITの拡大により自動化され消え去った職業や雇用は数知れません。ITの普及により犯罪が多様化・複雑化し知らぬうちに安心・安全・財産までが脅かされることも多々あります。ITが普及しても気候変動も地震も止められません。戦争も貧困もなくなりません。便利にはなっても、人類社会の根本的な不安は払拭できていないのではないでしょうか。

技術はいつの時代も両刃の剣であり、使い方次第と言います。きっとITもそうだろうと思います。だからこそ、使う側の私たちが、便利さや快適さと引き換えに失ったものは何か、「企業利益のための技術」ではなく「人や社会を幸せにする技術」かどうかを見定め、選択し、制御できる間に、ITとの付き合い方を再構築する必要があると思います。

そして関連企業群は、製品・サービスの一生での環境負荷(LCA)や真のCSRとは何かを真摯に考え、せめて、子供たちの使用には制限をかけるくらいの気概を持ってほしいものです。そのためには国際的な取組が不可欠かもしれません。

ちなみに、私たちもお付き合いのあるIT企業の方には、常に、ITがもたらす負の側面について業界全体で検討し社会に発信すべきことを提案していますが、なかなか実現に至っていないのが現状です。