2014年10月号会報 巻頭言「風」より

70年代の経験を今に活かす

加藤 三郎


二つの危機

最近、私は、環境には二つの危機が迫っていると思うようになった。一つの危機は言うまでもなく、環境そのものの危機だ。すでにお気付きのように、気候変動に伴う異常な気象現象は世界中で頻発し、威力も増大している。なかなか気づきにくいが、生物多様性の喪失も甚だしい。化学物質による人体や生態系へのインパクトは増大しているし、砂漠化も世界の各地で拡大している。

もう一つの環境の危機は、このような危機を前にしてなお、我々も含めて社会が十分な対応を取れていないことである。日本に限ったことではないが、この危機の大きさに対して、我々の取り組みはあまりにも小さい。気候変動に関し、日本について言えば、1990年の頃から、IPCCなど科学界からの警告を受け、早い時期に対応を取り始めた。しかし、温暖化対策の骨子はエネルギー問題そのものであるとともに、経済政策にも深く関係しているので、ああでもないこうでもないと言っているうちに、すっかり遅れを取ってしまった。

本来なら、削減目標を明確にし、その目標を達成するための政策手段としての規制策を検討し、さらにそれがスムーズに実施されるよう経済的手法の導入が必要であると私は繰り返し主張しているが、残念ながら、今の日本ではそのいずれもがまことに不十分。規制基準について言えば、火力発電所、製鉄所などの固定発生源のみならず、自動車、船舶、航空機などの移動発生源に対しても必要なのに、議論すらないという状況である。

このような状況を許しているのは、政治やメディア(最終的には国民)だが、その政治もメディアも経済のことにかまけて、危機を前にして対応が取れない政府や企業を叱る声もほとんど上がっていない。法華経の経典にあるという「火宅」の説話が思い出される。すなわち、奥座敷で遊びに夢中になっているうちに、気づいたときには、家が火に囲まれる例え話であるが、今の日本の社会を見るにこの説話が当てはまる気がするのは、私だけであろうか。

それに付けて思い出すのは

私は昭和41(1966)年から公害対策の最前線で仕事をし始めた。当時、厚生省公害課、さらに環境庁が発足すると大気保全局に身を置いて、四日市などのコンビナート公害対策や被害者の救済、自動車が街に溢れだした頃の自動車公害、さらに新幹線や航空機の騒音問題の対策に駆けずり回った。日本列島が公害列島に化したとマスコミに酷評された状況が70年代にかけて出現していた頃のことである。

この危機を前にして、国も地方公共団体も、企業も、市民団体も、そして、国会やメディア、司法(裁判所)までもが、各々総力を挙げて、この燃え盛る産業公害や都市公害に向き合い、全力を挙げて取り組んだ。私は、1970年の初頭、深刻な大気汚染一つとっても、一体これから日本はどうなっていくのかと空恐ろしい気がしていたが、各セクターがそれぞれ全力を挙げて取り組んだことによって、さしもの公害も十数年ほどで下火に転じ、やがて青空が見えてくるという「成せば成る」の貴重な経験をした。

その時の経験を思い出すと、今、私たちの社会が抱え込んだ地球規模の環境問題、なかでも気候変動問題に対する行政や企業の取り組みはあまりに小さいと思わざるを得ない。もちろん、日本の努力だけで解決できるわけではない問題であるにしろ、地球社会の一員として、そして貴重な公害対策の経験を有する先進国の一員として、日本はもっと積極的に対策を取るべき責務を有すると考える。

70年代プロジェクトの開始

以上の認識を踏まえ、当会としては今年度の後半から、約2年間かけて、1970年代の経験を今に活かすためのプロジェクトを立ち上げる。

その内容としては、①70年代当時、国、自治体、企業、市民(団体)、政治家、メディアなどがそれぞれ公害問題(大気汚染に絞る)とどのように向き合い、また、各々の責務をどのように制度・政策、技術、経済活動として結実していったか等について整理するとともに、②その経験や教訓を活かしながら、今後の実効性ある気候変動対策の推進を市民レベルから提案しようとするものである。

そのため、公害克服に直接携わった当時の各分野のキーパーソンの生の声を聞きながら、その思いや覚悟を含め、制度・政策、技術、人材投入の必要性、市民社会の有り様など、公害克服のポイントとして学ぶ点や、継承すべき点を整理し、今後の気候変動対策に活かしていく方向性について検討し、提言するというものだ。このようなプロジェクトの実施は、もちろん、一人や二人で出来ることではない。様々な経験を有する当会会員を中心に、それぞれの体験を月1回のペースで持ち寄り、それを今後に活かす道を明らかにしたいと思う。

どうか、このプロジェクトに出来るだけ多くの方に参加(遠くにお住まいの方は、メールやFAX等で)してもらい、当会らしく充実したものにしていきたいと考えている。