2020年5月号会報 巻頭言「風」より

地球は有限なのに、切りもなく経済成長を求めるわけ

加藤 三郎


新型コロナウィルスの感染症拡大で、私たちの日常生活も一変した。前月号の本欄で藤村コノヱ代表は、この問題と気候変動問題は同根だと書いているが、共感された方も多かったのではなかろうか。

私は80歳になったのを機に、遺言のつもりでこの夏に本を出版しようと執筆中だ。本の仮タイトルは、『環境文明のすすめ』で、内容としては、(1)今、何が問題か、(2)「環境文明」とはどんな文明か、(3)環境文明社会の中身は、また(4)その社会を支える知恵や戦略は何か、そして(5)社会の持続性の危機こそ環境文明社会の構築を促す、といったことを書きたいと思っている。本書で取り上げるテーマの一つが「地球は有限なのに、なぜ人は、経済成長を求め続けるのか」だ。

地球が有限だというのは小学生でも知っている。およそ人類の先祖がこの地球上に登場した数百万年前も、今も、そして将来も、地球の大きさに本質的な変化はないだろう。人は長いことその自然環境の中で生きてきた。しかしその有限な地球の中で、現代人はなぜ「成長」しつづけようとするようになったのだろうか。私の回答は、一つは資本主義という経済体制、二つは科学技術、そして三つは人間の欲望。この3つが成長を促し、経済活動圏を拡大し、環境負荷を増大させ、その結果、人間と生態系の生存と経済活動の基盤である地球環境の破壊をもたらした、と考えた。

しからば何故、資本主義は拡大・成長を求めるのか。また何故、科学技術は進化拡大していくのか。そして何故、人間の欲望を抑制するストッパーがなくなってしまったのかの三点について考えたところを簡潔に述べてみたい。詳しくは著作の中で書くつもりだ。

1.拡大・成長を目指す資本主義

地球環境の有限性、簡単にいえば宇宙船地球号の「定員」が1970年代以降にほぼ満杯になったのが地球環境問題の出発点だが、問題は、資本主義だと何故経済は成長を追求するのかである。これについては、京都大学の佐伯啓思教授は次のように説明している。

「資本主義とは、将来へ向けて経済を拡張してゆく活動である。そのためには、手元に資本が必要で、それは借金によるほかない。借金は将来の収益によって返済される。将来に向けて収益が得られると期待できれば、企業は借金をするから、当然、利子がつく。借金つまり負債を動力にして成長するのが資本主義の本質なのである。」(『経済成長主義への訣別』新潮選書、2017年)

さらにその「経済成長」が、日本を含むあらゆる国の経済政策の「進歩」の指標となったことについて、佐伯教授は同書において、「かくて経済成長とは社会進歩のもっともわかりやすい指標におさまった。富が少ないよりも多い方がよいと無条件に信じることができれば、経済成長が「進歩」であることは論をまたない。こういう了解ができたのである。」と述べている。

その資本主義は、今、多くの面で批判的に検討されている。株主第一主義でなくステークホルダーのための資本主義、更には公益資本主義、進歩資本主義などの名で、行き詰まりつつある資本主義の変革を求める議論は活発だが、資本主義そのものの本質に萌す「拡大・成長」志向そのものは不変であると私は考える。地球環境の限界(定員)を突き破り、様々な悪影響が顕著になった今では、拡大・成長に伴い環境破壊を必然的にもたらすこの経済方式を改める時期を迎えているのではなかろうか。

2.科学技術の本性は進化・拡大

今日の資本主義を支える大黒柱は、科学技術、特に技術の革新(イノベーション)と呼ばれるものだが、その科学技術も、本性は進化・拡大であることは、優れた思想家や科学者は早い時期から指摘し、警告を発してきた。

例えば、シューマッハーは名著『スモール・イズ・ビューティフル』で次のように主張する。

「奇妙なことであるが、技術というものは、人間が作ったものなのに、独自の法則と原理で発展していく。そして、この法則と原理が人間を含む生物界の原理、法則と非常に違うのである。一般的にいえば、自然界は成長・発展をいつどこで止めるかを心得ているといえる。成長は神秘に満ちているが、それ以上に神秘的なのは、成長がおのずと止まることである。自然界のすべてのものには、大きさ、早さ、力に限度がある。だから、人間もその一部である自然界には、均衡、調節、浄化の力が働いているのである。技術にはこれがない。というよりは、技術と専門家に支配された人間にはその力がないというべきであろう。技術というものは、大きさ、早さ、力をみずから制御する原理を認めない。したがって、均衡、調節、浄化の力が働かないのである。自然界の微妙な体系の中に持ち込まれると、技術、とりわけ現代の巨大技術は異物として作用する。そして、今や拒否反応が数多く現れている。」(1973年、日本語訳本は1986年、講談社学術文庫)

次に、東京工業大学教授や国立環境研究所長も務めた市川惇信氏は、科学技術文明について次のように主張する。

「生態系に目的はない。進化の過程があるだけである。同様のことが科学技術文明という進化システムにもあてはまる。科学技術文明には進化拡大の過程だけがある。このことは、科学技術文明が、それを生み出した思想とは無関係に、進化拡大することを意味する。」(岩波書店『地球環境学講座』第一巻中の「二十世紀科学技術文明の意味」1998年5月)

「科学技術文明では拡大が安定な軌道であり、縮小は不安定な軌道である。申し合わせて縮小軌道をとったとしても、それからわずかでも外れれば、全体は拡大軌道に転移する。科学技術文明は無思想に拡大を続ける。地球環境との調和はこの基本的認識のもとに図らねばならない。」と市川教授は指摘。

このように、科学技術文明は自ら制御する原理を認めず、それを生み出した思想とは無関係に進化拡大する。科学技術文明では拡大が安定な軌道であり、縮小は不安定軌道だと市川惇信氏は主張する。これこそが、資本主義経済を支える科学技術の本性であるとすると、これまで自由に進められた技術開発についても、環境面からの制約が必要であろう。

3.我慢を忘れた人間の欲望

人間の「欲望」は、生物として不可欠な食欲、性欲はもとより、名誉・権勢欲、事業欲などいつの時代でもあり、それ自体が人間の存在や活動の源泉であるので、必ずしも悪いことばかりではない。しかし、放っておけば膨らんで身を滅ぼすに至ることは、いつの時代にも見られる。20世紀に入って人口の増加や物的な豊かさの増大などの欲望の膨張による環境破壊は、まさにその典型であろう。

そこでこの欲望をどうコントロールするかは大問題であり、近代以前は、宗教(信仰)のほか、刑罰、「身の丈を知れ」「足るを知れ」などの知恵、集落の掟、家訓やご先祖様の遺訓などが、その役割を担っていた。特に、世界の大宗教にとっては、いずれもこの貪欲とどう対峙するかが生老病死の問題とともに、最も大きな課題であったと思われる。

世界で広く読まれている『仏教経典』((財)仏教伝道協会編)は、今から2500年前に生きたシャカ(釈尊)が、この問題に様々な場面でどう説いたかを生き生きと語っている興味深い書物だ。シャカは「教えのかなめは心を修めることにある。だから、欲をおさえておのれに克つことに努めなければならない。身を正し、心を正し、言葉をまことあるものにしなければならない。貪ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない」と最後の教えを説いたと伝えている。

私自身は、循環、共存、そして抑制を三本柱とする環境倫理十カ条をかねてより提唱しているが、特に重要だと考えているのが「抑制」だ。しかし「抑制」は自由の抑圧だとして拒否する人も少なくない。ある著名なエコノミストに、私が環境政策を進める上での「抑制」の重要性を語ったところ、言下に「それはだめだ。抑制などとネガティブなことを言ったら人は動かない。」と却下されたことがある。そんな折、抑制の重要性を説く素敵なエッセイに出会い、今でもそのまま通用すると考えるので、そのエッセンスを紹介したい。それは、ロシアの作家 アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏(70年ノーベル文学賞受賞者)の言葉である。「深刻化する環境破壊は将来、気候帯を変化させ、真水や耕地に恵まれていた地域でも水と土地の不足を引き起こしかねない。それは、人類の生存を揺るがす新たな紛争を招く可能性がある。つまり、人と人との生き延びるための戦争だ。こうした事態を回避するには、我々が自らの欲望を制限する必要がある。公の場でも私生活においても、我々はとうの昔に、自制という名の黄金のカギを海の底に落としてしまったので、己に犠牲を強いたり、無欲になることは難しい。しかし、自己抑制は、自由を手にした人間が目指すべきものであり、また、自由を獲得する最も確実な方法だとも言える。」(2000年3月15日付、読売新聞朝刊「私の二十一世紀論」欄)私も全く同感だ。海の底から「黄金のカギ」を取り戻さなければ、人類の将来は本当に危ない。


本文中で取り上げた資本主義、科学技術、人間の欲望をコントロールし、新しい生き方をすすめるのが「環境文明」社会。そこでの制御方法も私の著作の中で展開するつもりだ。ご期待下さい。