2020年9月号会報 巻頭言「風」より

危機の向こうの希望

加藤 三郎


1.コロナ危機と人々の対応

昨年の晩秋、80歳になった時、半世紀を越した私の環境対策で得た知見や思索をまとめた遺言のようなものを書きたいと思い立った。その時イメージした主題は、「環境文明のすすめ」で、概ね次のようなことを書こうと考えた。すなわち地球環境は急速かつ広範に悪化しており、人間社会は遠からず破局に直面しかねないこと、それを回避するには、環境を何よりも大切にする文明社会(環境文明社会)を急ぎ構築すべきこと、その具体的な姿を政治、経済、技術、教育などから書こうと思っていた。

このあらすじにそって昨年末から執筆を開始したが、年明け2月頃から思いもよらぬコロナ騒ぎが始まった。環文もテレワークが基本となり、会議もすべてwebになり外出も少なく、自宅にこもり執筆する時間が増え、6月中にはほぼ初稿がまとまった。早速、この本を出版してくれるプレジデント社の編集担当 稲本進一さんと藤村コノヱさんに原稿を見てもらったところ、予期に反して評価はよくなかった。一口で言えば、環境の危機や破局がくるという思いが強すぎて、読んでいて暗くなり、これでは特に読んでほしいと願っている若者たちが手に取ってくれないだろうとの厳しいコメントだった。

一方、私も、国内外におけるコロナ危機の状況を観察し、私たちの生活を取り巻くその他の危機、例えばいつ起こるとも知れない大震災、経済的な危機、更に戦争など多様な危機の中における環境危機の特色を改めて再検討する余裕も出てきた。更に、コロナ危機が進行するにつれて政府・自治体の当局者から出てくる、「三密」の排除、不要不急の外出自粛の要請、学校の授業ですらオンラインという状況など、コロナ危機発生前にはおよそ考えられなかった行動変容への要請に人々が従っている状況を見ることもできた。つまり、コロナのような危機が発生し、それが確かに危機であると実感すれば、人々は、それ以前にはおよそ考えられなかった生活上の自制、あるいは経済活動の抑制を引き受けた、という現実を驚きの思いで受け止めた。

2.浮上してきた「希望」

私たちは長いこと環境の危機を訴え、ライフスタイルや経済活動の大転換を訴えてきたが、政財界だけでなく一般の人々からも、ほとんど聞き入れられなかった。そのことを恨めしく思っていたが、コロナ禍への当局や人々の対応を見ていると、危機の認識そのものに大きな差があることに気づいた。コロナの場合、個々の感染源の特定が困難で、感染しても症状が出ないまま治ってしまう人もいる。志村けんさんのように、何かの理由(高齢や持病のある人と当初は言われたが、必ずしもそうとも限らないらしい)で重症化すると、急速に悪化し死に至るケースも少なからずあると知れば、誰しも恐怖を抱き、社会活動がかなり止まってしまう「危機」となる。

一方、環境危機の場合は、専門家は「このままの対策レベルが続けば、地球の平均気温は今世紀末には4~5℃上昇する可能性が高い」「海水面は今世紀末には1m近く上昇する可能性が高い」、また「約100万種の動植物が今後数十年の間に絶滅する可能性がある」と言う。明日や明後日ではなく、「今世紀末」や「可能性」では、シャバで精一杯生活している人の多くにとってはリアリティがなく、とても「危機」として捉えられないだろうと思うようになった。環境危機の説明や広報をより身近で具体的に可視化できるものに変えていけば、人々の理解は深まり、危機の大規模発生前に対策を取ることが可能になるだろうと希望が湧いてきたのだ。

このほかにも私に希望を抱かせてくれる動きも見えてきた。市民力、特に若者と女性の力強いポテンシャルに気が付いたのだ。環境政策に限らず、昨今の日本の沈滞ぶりの主な原因は、政策の形成過程で政官財の一部メンバーのみによる内容の乏しい決定が目立ち、国内にある様々で豊富な知見や経験を吸い上げる仕組みのない、「片肺飛行」状況にある。典型的な例は「原子力ムラ」による原子力発電事業だが、環境の場合は、政策をつくり実行するには出来るだけ多様な人を巻き込みダイナミックに進めなくてはならない。幸い、グレタさん効果もあり、日本でもようやく少数ながら若者たちも立ち上がりつつある。加えてよく見ると環境分野では女性がリーダーとしても活躍しているのにも改めて気が付き、ここでも希望を見出した。

そういうわけで、初稿のトーンを大幅に書き換えて、危機だけではなく、希望も書き込むよう執筆の方向を転換し、本のタイトルも、稲本、藤村両氏の意見を取り入れて、本稿のタイトルと同じ『危機の向こうの希望』に変えた。

3.「環境」で日本を再生

現在、環境に限らず多くの面で低迷している日本社会を活性化し、国際社会に貢献し得る事業分野は何か。端的に言えば、10~20年後、日本は何で食べているのだろか?自動車?コンピューター?ロボット?金融?観光?人により様々なお考えがあろうが、私はズバリ「環境」、つまり「環境立国」だと考えている。

こう言うと人は、省エネ技術や燃料電池車の開発・普及、あるいは大気中のCO2吸着技術などの環境技術立国を思い浮かべるかもしれない。しかし私の考える「環境立国」は、日本人の持つ文化的感性や伝統文化の知恵などを基盤にして、憲法の改正、経済や技術のグリーン化、教育の改革、市民(特に女性や若者)の政策形成・実施過程への主体的参加を制度的に保障するなど、広範でダイナミックな国民運動を伴う、令和の日本再生と考え、その辺りのことを新著にかなり詳しく書き込んだつもりだ。お読みいただけると嬉しい。