2021年7月号会報 巻頭言「風」より

NPO生活28年 -私の自己評価-

加藤 三郎


私は、厚生省公害課から出発して、環境庁地球環境部長で辞めるまで27年余、環境対策の公務員をしてきたが、93年7月、現在のNPO生活に転進した。官僚生活が嫌になったとか、いじめられたから辞めたのではない。むしろ良き先輩や同僚、そして仕事に恵まれて、思う存分、仕事をしたつもりである。しかし、地球環境問題は大量生産、大量消費の経済の仕組みを基盤にした20世紀型の文明の病であると認識した以上、そのことを専門的に追求したくなって新生活に入った。それから28年。会員さんや藤村コノヱさんら仲間と一緒に、様々なことを試みてきた。我ながらよくやったと思う反面、できなかったことも少なくない。そして、後述するように、私自身にまた一つ転機が来たと考えたので、この際、これまでのNPO生活に対する私自身の自己評価を記してみたい。

1.出来たこと

(1)「環境文明」という文明の発見

この仕事に乗り出した時は、環境と現代文明の関係を探る意味合いから、当初は常に「環境と文明」という言葉で表してきた。しかし2008年頃から、石油文明、工業文明などとは異なる「環境文明」という文明があり得ると考えるようになった。すなわち、世界の生きる基盤の中で、危険なまでに劣化を続け、人間や他の生物にとって生きるか死ぬかの資源となりつつある自然環境を何よりも大切にする文明、つまり「環境文明」があると気付き、以来、「環境文明」そのものを考察の対象としてきた。

(2)政策提言型NPOの確立

NPOを立ち上げたものの、私たちは誰一人としてNPOをどうやって運営するかのノウハウは持っていなかった。考えてみれば無謀なことであったが、2-3年のうちに私とコノヱさんがアメリカとヨーロッパで有力なNPOを訪ね歩き、経営に必要な会員募集の方法、資金調達、スタッフのリクルートなどを聞き回り、そうしたものも参考にしながら手探りで活動した。私自身は公務員として政策の策定に長いこと携わった経験もあり、かつ環境と文明の関係を詳しく知ろうとすれば、調査に基づく政策提言型にならざるを得ない。現時点では日本でも政策提言型のNPOはいくつもあるが、当時としてはグリーンピースなどの外国NGOの日本支部という組織を除いては、他に類のないNPOとなった。外部から見ると、いつまでもつのか心配されていたようだが、結局、会員の皆様のご支援があって、これまで持続的に活動してきた。

(3)グリーン連合の発足母体

2015年6月に環境分野のNPOの連合組織である「グリーン連合」が発足したが、そのお膳立てを私とコノヱさんが中心となって担い、今日に至っていることは、やはり大きなことと思われる。当時、大企業の経験者からは、「日本の環境NPOは小っちゃく固まって、お互いに連携を取ろうともしない。これでは大きな力にならない。」とよく批判されたが、それも克服するため、グリーン連合を発足させた。コノヱさんが三人の共同代表の一人となり(私は顧問)、かつ市民版環境白書『グリーン・ウォッチ』を、翌年から毎年発行し、その編集長を彼女が勤めている。市民版環境白書にふさわしい内容になっていると思うので、目を通す機会がなかった方には是非見てもらいたい。

(4)環境力ある中小企業経営者への共感・協働

環境教育を企業の役職員を対象に実施するにはどうしたらよいかというところから始まり、中小企業の場合、経営者が企業の方向付けに決定的な力を持っていることに着目して、「経営者環境力大賞」プロジェクトを08年度から開始した。このプロジェクトを通じて、環境力があり、人間としても魅力ある経営者とのお付き合いが発生。これら経営者の人間力に共感するとともに、手を携えて企業社会の環境力を高めるプロジェクトを10年以上も続けている。

(5)コノヱさんへのリーダーシップの交代

当会は私が主宰して立ち上げたので、長いこと私が代表を務めていたが、コノヱさんの能力に気付き、専務理事、共同代表、そして代表という風にリーダーシップを順次コノヱさんに譲ってきた。彼女は環境教育の専門家であるだけでなく、28年この分野で一緒に活動しただけに、優れた見識、幅広い人脈などを確立しており、彼女にリーダーシップを交代したことがとてもよかったと思っている。私がこの数年、女性と若者を前面に出して、もっともっと活躍してもらうべきだと強調しているのも、「コノヱ効果」である。

2.できなかったこと

上に述べたように、できたことはいくつもあるが、出来なかったことも多い。それを次の3つの側面から述べてみたい。

(1)社会に主張が幅広く受け入れられなかったこと

私自身は会報で主張するだけでなく、様々なメディアで多数発信を続けてきたが、それによって社会がどの程度変わったかについては、正直なところ自信がない。簡単に言うと、当会を立ち上げた時、数年のうちに会員の数は一万人くらいにはなるのではないかと考えていたが、一万人どころか千人にも届かず、発足2-3年後の約800人がピーク。それ以降、高齢化等もあって少しずつ減り、新しく入ってこられる方もあるが、会員数だけでいうと、残念ながら現時点では400人足らずである。随分頑張ってきたつもりだが、会費を払って直接活動を支持して下さる会員の数は、この20年以上減少傾向にある。ある時、親しい友人から、「あなた達は随分頑張っているようだが、それによって日本社会が変わっただろうか。一ミリも社会は変わらなかったのではないか。」と言われたことがある。正直言って、私自身は一ミリも変えられなかったとは思っていないが、そうかといってこの28年間、私たちの主張が社会にしっかり受け止められたという実感はない。理由はいろいろと考えられる。NPOの政策提言などというものへの信頼がない、あるいは、私などその気はなくとも、上から目線でものを言っていると思われる、あるいは表現やプレゼンが拙劣、あるいは会費が高い、等々、社会に受け入れられない理由は色々あり得る。最近出した私の本も、注目されたり大いに売れたということもないので、やはり日本の社会全体から見たら、人の心に届き、共感が得られる主張にまだなっていないのかなという思いを拭えない。

(2)NPO活動に不可欠な公的資金基盤の確立ができなかったこと

この28年間、私たちの活動を支えてくれたのは、会員さんの様々なご支援であり、特に資金面では会費とご寄付であったことは言うまでもない。これに加え、ヨーロッパやアメリカにあるように、日本でも公的な資金支援が必要であり、このことを様々な方法で主張してきた。特にヨーロッパでは、労働組合や産業団体と同様、環境NPOも社会を動かし維持する上で不可欠だとの認識のもとに、活動を支える公的な資金(人件費、家賃、通信費、旅費等)が支払われる仕組みができている。日本では1998年にやっとNPO法ができ、NPOという存在を公的に認定する制度はできたが、活動資金面では、未だにごくわずかな地球環境基金があるだけだ。これでは優秀な若者を安定的に雇用したり、国内や国際的な調査や会議への出席もままならない。このような公的な資金はNPOのためだけでなく、社会にとっても必要だとずっと言い続けてきたが、残念ながら未だに出来ていない。

(3)国際社会との知的交流が不十分

当会を作るときには、主たる活動の対象や範囲は日本の社会とすると限定してきたが、国際的な環境対策の潮流にも影響を受けたり、与えたりすることまで排除したわけではない。実際、会報をお読みいただくと、国際社会、特にヨーロッパやアメリカに関する記事が多い。しかしながら、環境文明21から国際社会に私たちの意見や活動状況を継続的にインプットするという役割は、資金や人的な面で力が足りず、これまでは十分な交流はできていない。

3.さて、これからは

馬齢は重ねても、体力、気力はそれなりに残っているつもりだが、数ヶ月前にコノヱさんとも相談し、私は、当会の向かうべき方向付けに関わる本欄「風」の執筆から降板することにした。その理由は、急激に変化する時代にふさわしい、よりフレッシュな見方や感覚を、会員や会の活動に反映できる人に替わってもらいたいと、強く希望したからである。幸い、当会の古くからの会員で、私よりはずっと若い、といっても立派な大学教授クラスの研究者三人が、私たちの依頼に応えて引き受けてくれた。コノエさんは今まで通り隔月に登場し、私の担当分を三人の精鋭が交代で執筆する体制がひとまずできた。

しからば私はどうするか。老兵は消え去るのみ、というわけにはいかない。環境悪化の脅威は一層深まり、この危機から脱け出す知恵は老若男女を問わず、ますます求められているからだ。そこで私は、来月号から毎号1頁もらって、「環境文明社会づくりのあれ、これ」を、心を込めて書き留めていくつもりだ。来月からの新たなお付き合いをお願いするとともに、本欄でのこれまでのご愛読にひとまず深謝する。