1993年12月号会報 巻頭言「風」より

21世紀への道普請

加藤 三郎


年が替わって、94年の正月を迎えれば、21世紀まではあと7年。世紀末の冬景色が次第にあらわになってきた。実際、不景気な話や困難な状況が随所に見られる。国内では、経済は長い不況にあえぎ、GNPの落ち込みだけでなく、失業の恐怖が忍び寄ってきている。政治の方も激動の真っ只中にあって、明確な方向性をもった政治像は見えていない。

一方、世界は、日本以上に苦渋に満ちているように思える。ボスニアでの悲惨な内戦は執拗に続き、また旧ソ連での政治・経済・社会の混乱はまだまだ収まっていない。東欧や途上国からあふれ出た移住者や難民は、西ヨーロッパの社会をボディブローのように衰弱させている。さらに20世紀文明を象徴してきたアメリカも、財政の不振に加えて、暴力、麻薬、ホームレスなどの深刻な社会問題に苦悩を深めている。

すこし長期的な目でみると、80年代の半ばから顕在してきた地球環境の悪化傾向にまだ歯止めはかかっていない。この地球の“病状”についての診断や処方箋は「地球サミット」で合意されたが、経済や内戦などの足元の諸問題にエネルギーを吸いとられてか、有効な治療はまだ施されていないのだ。

現在56億人ほどの世界人口は世紀末には62億を超え、来世紀中葉には100億にも達すると推測されている。生存の基盤である環境が悪化するなかでの急速な人口増加は戦慄すべきことであり、来世紀は苦難に満ちたものになると思えてならない。しかしここで悲観に押しつぶされるのも、遠い先のこととして逃避するのも、また将来の技術進歩に楽観を託すのも禁物だ。私たちの世代だけでなく、子や孫以降の世代の命運がかかっているからだ。

なすべきことは、今日の世界状況をもたらしたもの、なかんずく大量生産、大量消費の経済社会システムや価値観に依存する20世紀文明を見直し、持続可能な文明につくりかえることだ。そのためには、例えば経済、利便、快適、スピードといった20世紀を特徴づけるキーワードの中身を一つひとつ点検し、21世紀にも耐える新しい内容に変える地道な努力、いわば21世紀への道普請をするしかない、と考えている。

94年も当「考える会」の仲間とともにその困難な作業に挑戦してみたい。どうかお力をかしていただきたい。