1995年9月号会報 巻頭言「風」より

「景気」がそんなに大切か

加藤 三郎


バブル経済なるものが崩壊して以降ここ数年、政治家や経済人そしてマスコミまでが「景気回復」の大合唱を繰り返している。先日の参議院議員選挙においても、主要な政党はみな景気対策を政策のトップに掲げ、やれ大型補正予算で公共事業を実施して景気を刺激するの、大幅な規制緩和を実施するのなどなど大騒ぎである。

某大新聞は、「経済政策の大転換を求める」と題する社説のなかで「バブル崩壊と急激な円高に、株安、不良債券問題、産業・金融の空洞化、リストラによる雇用削減圧力、アジアの工業化、価格革命、通商摩擦や政治の空洞化が重なって、日本経済は、息絶え絶えだ。」と述べているが、本当だろうか。

そもそもこの社説は、誰がバブル経済を演出し、リードしたか? これによって誰が巨利を得、誰が苦しんだか? 円高は日本の異常な黒字蓄積によってもたらされたが、日本のどの産業がその黒字をためこんだかなどについては一切ふれずに、バブルの反省から生まれた地価税の凍結や乱脈経営がもたらした金融システムの不安解消に公的資金を導入せよなどと主張している。このように政治もマスコミも多くの国民も、景気に異様な関心を寄せているが、そんなに景気が大切だろうか。

はっきり言えば、景気をよくするとは、今の大量生産、大量消費の経済を前提とする限り、地球の空気、水、大地などの人間を含む生物の生存の基盤を少しずつ掘り崩すことにつながる。多分、「この考え方はあまりにも短絡的だ。景気と地球環境とは関係ない」との反論もあろう。しかし、今世紀における経済と地球環境との関係を見つめ、考えると、今のやり方で景気を刺激することは明らかに地球環境に負荷を与える結果になる。

環境は、人間が21世紀にかけて生きのびてゆくうえに最も大切なものと考える私でも、「経済などどうでもよい」と考えているわけではない。私も、失業者があふれ、家庭内も社会も暗く、不安に沈んだ状態が環境によいなどとは毛頭思わない。私が今重要と考えているのは、地球が有限であることを考慮することなく築き上げた20世紀型の「経済」の中身をできるだけ速やかに転換させるための準備を全面的にすることだ。一世紀ほどの期間、猛烈な勢いで大量生産、大量消費のコースを突き進んできたマンモス・タンカーの方向を突然切り替えることは不可能であるが、この10年顕著になってきた地球環境の悪化は、今人類がたどっているコースは衝突コースだと明瞭に告げている以上、オモカジ一杯切り替えるための様々な準備(何が大切かの価値の転換、諸制度の見直し、新しい技術や雇用の創出など)に総員で真剣に取り組まねばならない。そのことの方が、一時的な「景気」の回復よりも、よほど大切であり、まさにリーダーがすべき仕事と考える。