1996年5月号会報 巻頭言「風」より

私のNGO体験

加藤 三郎


私は27年間ほど、環境・公害対策分野で公務員生活を送った。その間の大部分、つまり92年6月に開催された「地球サミット」への準備を始める前までは、公害患者の会の厳しい陳情を受けたり、業界団体とお付き合いすることはあっても、日本の主要な問題に真正面から取り組み、政策提言もできるNGOとまともにお付き合いをすることはなかった。

しかし90年代に入ると、日本社会のメインストリームでも、NGOとかボランティア活動の意義や重要性に少しずつ気がつき始めた。私自身のNGOに対する認識が変わり始めたのもこの頃からである。直接のきっかけは、「地球サミット」への準備会合やその一環としての条約交渉の場に臨む毎に、私のそれまでの常識をはるかに超えて、NGOが実質的な参加者として活躍している実態に当初は戸惑い、やがて瞠目したことである。

それまでの私の認識では、いやしくも政府の代表者から構成される国連の会議や、まして、特定の問題に関し、国家間の権利や義務を規定する条約交渉の場においては、NGOはあくまでもオブザーバーにすぎず、それ以上の役割を果たすべきとも、果たし得るとも考えていなかった。

ところが実際に各種の外交会議に出てみると、議場の内外で、単なる政府批判や応援を超え、時には交渉の内容をリードするような実質的な活動を積極的に展開している姿を目の当たりにして、それまでの私の常識が打ち砕かれ大きな衝撃を受けた。

それから何年かたった93年7月、公務員生活にピリオドを打ち、私自身もNGO活動を手探りで開始した。世界人口の増大や地球環境の悪化を前にし、日本社会の価値観や経済社会のシステム(制度)などを転換することが必要であり、そのような仕事は役所よりも民間にいる方が自由になしうると考え、そういう努力の一端を担いたいと考えたからである。

それから2年半少々が過ぎた。私のNGO体験としては、こちらの力が足りないのか、日本社会の理解と支援が十分でないのか、あるいはその双方によってか、NGOに対する期待の高まりの割にはまだまだ十分な力を発揮し得ていない。しかし本誌前号にも書いたように、戦後50年、日本を支えてきた各種のシステムが機能不全に陥りつつある今、社会の活力を回復し、新たな地平を拓く可能性を秘めるNGO活動に幅広く力強い理解と支援をいただきたいと思う。

それにしても、パチンコ、競馬、ゴルフなどには年間数十兆円のお金が軽く動くこの国で、地球環境時代における人と経済社会のあり方などを自主的に考え、行動することにはごくわずかな人と雀の涙ほどのお金しか出てこないのは何故なのか、あれこれ考える昨今である。